『レストラン RAVI』
の壁に掛かる、1枚の写真に目が留まった。
節ばった無骨な農夫の手が、いかにもふっかりとした漆黒の土の上に置かれている。まるで子どもを寝かしつけるように、やさしく手を当てているのだ。
「土を撫でているんです。彼は畑の土を全部、こうして何時間もかけて撫でていく」
シェフの山下一宇(かずいえ)さんが教えてくれた。
彼、とは郡上市の六ノ里で自然栽培を行う嶋田幸洋さんだ。
『S³(エスキューブオリジン)』
という屋号を掲げ、農薬や肥料を使わずに野菜を育てている。
あの土臭さがなく、だしのような味わいを持つ不思議なごぼう
(CHAPTER 30)
は、この土から生まれたのだった。
翌日、シェフに嶋田さんの畑を案内していただいた。
「土が土じゃないみたいですね」
ファインダーを覗くカメラマンの声が驚いていた。
たしかに土は、砕いた黒糖みたいに素朴でエアリー。嶋田さんが、その黒糖を手でさくっとすくい上げると、私もうっかり「おいしそう」と呟いてしまう。
「団粒(だんりゅう)といって、土の一粒一粒の中にいっぱい穴が開いてるんです。そこに生きた微生物がいろいろ棲んでいる」
地質でいえば、火山灰由来の黒ボク土。空気を含み、水はけがよく、保水性もある優秀な土で、世界では全陸地の1パーセント未満の希少性。だが火山の国・日本では、じつに畑作地の47パーセントがこの恵まれた土壌だ。
嶋田さんの畑は、菌を含む豊富な微生物によってさらに団粒化が進み、彼いわく「エネルギー」が強い。
その自信には、科学的な裏づけがある。
土壌分析(SOFIX農業推進機構)にかけると、畑の土1グラムに微生物が12億個も確認された。平均は6.9億個、農薬使用の土では2億個以下というからすさまじい数だ。
それら微生物が働くことで、土中の窒素やリン酸、カリウムも増えることになる。
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僕らの新しいローカリズム
長崎 島原半島編
火山と海と、慈悲深き人々と
CHAPTER 32
岐阜 郡上編
類まれなる発酵の地
CHAPTER 31『S³/畑中商店』
黒糖のような土
融和の料理
CHAPTER 30『RAVI(ラビ)』
みな一つになって踊ろう
2025年7月。夜の営業前にレストラン
『RAVI(ラビ)』
へ取材申し込みの電話をすると、オーナーシェフの山下一宇(かずいえ)さんの背後から賑やかな声が聞こえてきた。
これから30夜以上にわたり、郡上八幡で繰り広げられる「郡上おどり」の打ち合わせをしていたらしい。江戸時代から400年以上続く、盆踊りの祭りだ。
「お盆の間は身分や地域の隔たりなく、みな一つになって踊ろう」
郡上藩主の融和政策によって、士農工商なんのその、と誰もが踊った。令和の今は地元の人もよその人も関係なしに、飛び入り歓迎、フェードアウトもご自由に。
なんと平らかなスピリットだろう。
取材に訪れたのは10月だったから、小路で揺れる提灯に祭りの面影が残るのみ。その代わり城下町には、のんびりとした日常が戻っていた。
町家造りの木造家屋が立ち並ぶ郡上八幡は、交流のあった京の言葉も入り混じる、まさに奥美濃の小京都。
そして水の町でもある。
長良川ほか、山から流れくる3つの河川が合流する場所。古くから水路が整備されていたほか、山の水や湧き水を引き込んだ「水舟」が各所にあり、飲み水や食材の洗い場として機能した。
六ノ⾥のためにできることすべて
CHAPTER 29『Rism(アールイズム)』
⼭で獲った⿅のジン
郡上八幡
『アルケミエ 辰巳蒸留所』
のクラフトジン「WILD DEER六ノ里」の登場は、ちょっとした事件だった。
ジンだからジュニパーベリーは必須としても、主役の素材がジビエ、鹿肉なのだ。
肉、ってアリなのか……。半信半疑で口に含むと、アイラ島のウイスキーを思わせる燻香、ひんやりした森の鎮まりゆく感覚、ジャーキーに似た旨味の印象。
通称・鹿ジンは2022年から毎年冬にリリースされているが、蒸留家の辰巳祥平さんいわく「このジンは、松川さんの努力の賜物です」。
蒸留所から車で30分ほど北上した山あいの集落、六ノ里(ろくのり)で獣害対策の狩猟(または捕獲)活動をしている
松川哲也さん
である。
捕獲、燻製を彼が一人で手がけるからこそ実現できる、品質と価格。80キロの肉を燻製するのに、家庭用燻製器4台を1日5時間稼働して、7日間もかかるという。
「温度と煙を均一にコントロールしたいので、つきっきりになるんです」
なるほど、限定300本も納得だ。
鹿ジンは、獲った獣をあますところなく生かす、活路の一つになる。
全国的に見れば、捕獲した獣の多くは廃棄されている、という現状があるのだ。
そのなかで松川さんが解体と精肉を依頼する
『ジビエITAYA』
では販売も行い、肩や腿といったブロック肉のほか端肉まで利用する努力をされている。
食用だけでなく、ジンの香りや風味づけにも活用できればジビエの世界はさらに広がるうえ、何より楽しい。
ボタニカルを、ちゃんと液体にすること
CHAPTER 28『アルケミエ 辰巳蒸留所』
毎年、決まって10月上旬に咲く金木犀
2025年10月、金木犀(きんもくせい)の花が咲く時季を狙って『
アルケミエ 辰巳蒸留所
』を訪れた。岐阜・郡上八幡でクラフトジンとアブサンを造る、辰巳祥平さんの蒸留所だ。
彼はさまざまなボタニカルを取り入れる。カモミール、ラベンダー、茶葉からジビエ(鹿肉)まで、昨年1年間ではじつに99種類。しかも季節の流れは日々、一進一退。旬の香を追いかければ、一年中大忙しだ。
金木犀は郡上八幡で、毎年10月上旬から1週間だけ咲く花。ここ3年ほどは秋の気温が高く遅れ気味だったが、さて今年はどうか?
じりじりして待っていた10月初め、「今年は元に戻ったみたいです」と辰巳さんから連絡があったのだった。
元機械部品の工場を改装した蒸留所に着くと、小雨の薄い日差しの中、そこだけ光を集めたように橙色の金木犀が輝いていた。
辰巳さんと助っ人隊が、民家の庭先や公共施設の植栽、道端で咲く花を、許可を得てやさしく手摘みしたものだ。
近づくとふうわり甘やかに香る、この小さな花々がこれからジンになる。
石川 能登編
輪島の職人は、交換不可能
CHAPTER 27『赤木明登うるし工房』
輪島でしかつくれないうつわ
Googleマップでは辿り着けない森の中、『
赤木明登(あきと)うるし工房
』は静かに佇んでいた。周りに建物はなく、代わりにハゼノキというウルシ科の樹木が生い茂り、合間にレンギョウの花も咲いている。
深い緑と陽の光を浴びるうるし工房、というのも珍しい。
うるしは紫外線に弱いからだ。伝統的には暗い場所で作業するところ、赤木さんは紫外線100%カットの窓ガラスで、気持ちのいい眺めを手に入れた。
国指定重要文化財である輪島塗の塗師(ぬし)、赤木さんの定位置は、工房の2階にある。
木地から始まって下地、上塗りまで124もの工程が連なる最終段階。表面になめらかな塗りを施す仕事は、他者の立てる微かな埃も許さないため、作業はいつも一人きりで行われる。
「僕のうつわは“赤木明登作”で世の中に出回ってますけど、僕だけでつくっているわけじゃない。職人さんたち一人ひとりの高い技術力が集結することで、個人の能力を超越したものができ上がるんです」
工程ごと、さらに形や種類ごとに専門の職人がいる分業制。手から手へと渡していくため、狭いエリアに職人たちが密集する、それが輪島。
能登半島地震で最大震度7という揺れに襲われ、甚大な被害を受けた町である。
輪島塗は、輪島でしかつくれない。
その理由は職人たちのリレーワークともう一つ、特有の「地の粉(こ)」にある。
地の粉とは、うるしに混ぜる土や粘土などの粉末で、輪島の場合はそれが珪藻土からできている。珪藻(プランクトン)の骨や外殻が海底に積もり、化石化した土だ。
「はるか昔、能登半島は海の底でした。地殻変動や隆起を繰り返して半島になったので、山から珪藻土が出てきます」
珪藻土は、無数の微細な孔(あな)を持つ多孔質。
木のうつわがひび割れる大きな要因は「熱」による変形だが、輪島地の粉は孔に空気を抱え込むため熱を伝えにくい。さらには孔にうるしが浸透して、硬く結びついてくれる。
だから輪島塗は、「100年使える」といわれるほど堅牢なのだ。
能登を選んでもらうために
CHAPTER 26『数馬酒造』
家業なら最速で社長になれる
「保育園の時代から、夢はずっと“社長”やったんです」
素直といおうか、そんな言葉をまっすぐに言う20代が、酒蔵の社長になったことから始まる物語である。
いい日本酒をつくるため、彼が目指したのは地域の宝を見直すこと、地球への負荷を減らすこと、働く環境を守ること。
SDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)が国連サミットで採択されたのは2015年。日本での意識が高まるのは2019年頃だが、その酒蔵、『
数馬(かずま)酒造
』は2014年からとっくに取り組んできた。
日本酒業界の慣習、世間の常道といったノイズにも、自身の感情にさえも囚われないフラットな視点が、能登で156年続く酒蔵に新風を吹き込んだ。その改革は型破りだが、シンプルだ。
すべての道が、「能登」というアイデンティティへとつながっているのだから。
能登半島の内海にあたり、湾の形をした宇出津港(うしつこう)。
穏やかな海と、瓦屋根が連綿と続くノスタルジックな港町で、『数馬酒造』は江戸時代から醤油蔵(能登半島地震以後は休業)を、明治2年(1869年)からは日本酒蔵を営んできた。
社長は5代目の数馬嘉一郎(かいちろう)さん、1986年生まれである。
もともとは自ら起業を目指し、能登を出て東京の大学に進学。卒業するとベンチャー企業でコンサルタントの職に就く。当時は20代そこそこでもあり、日本酒にはほとんど関心を持っていなかった。
だが目標の30歳起業まであと7年という時、父から「蔵の仕事を手伝うか?」と生まれて初めて訊かれて、はたと気がついたのだそうだ。
「家業なら最速で社長になれる」
帰郷したのは2010年、24歳。社長に就任したのはその5カ月後。
蓋を開ければ、酒販店にも「焼酎ブームで日本酒は売れん」と言われ、業績は悪化の一途を辿っていた。
自分たちが楽しければ、菌もいい
CHAPTER 25『月とピエロ』
焼き上がりのパンは、昨日の自分との再会
2015年6月3日、満月の日に始めた。
中能登町の『
月とピエロ
』では、夫の長屋圭尚(よしひさ)さんが天然酵母のパンを、妻の由香里さんがお菓子を焼くベーカリー。
圭尚さんは、能登半島がまだぐっすりと眠る3時に起きて、月明かりの下で仕事を始める。パン・ド・ミ、パン・コンプレなど次々と、全11種類。いわゆる低温長時間発酵で、朝に仕込む生地は翌朝に焼くためのものだ。
自家製酵母による、菌の自然な発酵活動を、朝までゆっくりと待つのである。しかも酵母はいくつもあって、たとえばパン・ド・ミならホップ酵母とレーズン酵母、パン・オ・フリュイならそれらに全粒粉の小麦粉から起こしたルヴァン種も加える。発酵の勢いや働きは、パンによってそれぞれだ。
だから発酵が終わった生地と、その焼き上がりのパンは、昨日の自分との再会というわけである。
昨日の彼は気分がよかったのだろうか。圭尚さんがのばして成形する生地は、ゆるゆるなのにちぎれそうでちぎれず、手に吸いつくような素直さで従っている。
明らかに、かなり水分の多い生地だ。かといって高加水にしようとしているのではなく、「その日の小麦が欲しがるだけ」の水を加える。
「香りって水分に入ると僕は思っているので、水分は多いほうが香りもいい気がするんです。発酵もスムーズになって、ガスが発生して閉じ込めてくれる。根拠はないけどそんなイメージです」
水は店から車で5分の山あいに湧く、十劫坊(じゅっこうぼう)の霊水。彼いわく「水は生きもの」。この水によって、目には見えない菌が、生き生きと動くのを感じるという。
パンを焼くのは、工房の一番奥で神棚のように存在する、フランス製の薪窯。
現地まで行って購入したから、その土地でどんなふうに使われているかがわかり、よりいっそう愛情が深まって使う度に気持ちがいい。
「自分たちが楽しければ、菌もいい」
そうしていい波動が巡り始める、と彼は語った。逆を言えば、自分たちの調子が悪いとパンにも表れてしまう、ということだ。夫妻は、だからひときわ誠実に、自分たちの体調と向き合っている。
成形してはじゃんじゃん焼き、10時の開店まであと30分ちょっと。
「おいしそうに焼けました!」
最後のパンを窯から取り出した圭尚さんの、うれしそうな声が響いた。
能登かきは、桜の時季に美味くなる
CHAPTER 24『能登かき 宮本水産』
海の牡蠣を育てるのは、山
「能登の真牡蠣は、桜が咲く頃に美味くなる」
この言葉を聞いたから、4月に照準を合わせて訪れたのだ。
心痛む2024年を越えて、能登に再び咲く2025年の桜を見たい。そしておいしさの頂点を迎えるという、『
宮本水産
』の「能登かき」を食べてみたい。
4月、実際に空港から車で少し走ると、すぐに桜が現れた。というか、そこらじゅうでもう満開だ。海沿いの崖でも、田畑のあぜ道でも、里山でもあたりまえに。
能登半島が歌うように桜を咲かせている、その美しさに、希望を感じずにはいられない。
この桜の山を降りてきたところに広がる七尾湾で、育まれているのが「能登かき」だ。リアス式の海岸線を持つ七尾湾は南湾、西湾、北湾に分かれ、養殖業者の多くは西湾に集まっている。
だが宮本哲也さんが、妻の里子さん、息子の崇弘さんと営む『宮本水産』は、ちょっと外れた北湾にぽつんとあった。哲也さんの父が商売替えをして牡蠣の養殖と販売を始め、2025年で46年目になるという。
「この海には、川がないんですよ。〝こんなところで育つか〟って言われるような所で、親父が始めちゃった」
たしかに西湾ならば、3つの河川が流入してプランクトンなどの栄養分が豊富なうえ、水深も10メートル以内と浅い。一方で『宮本水産』のある北湾は河川がなく、水深も急に深くなる海だ。
「川がないと成長はたしかに遅いんです。でもその分、生活排水などの影響を受ける心配がない綺麗な海、ともいえる。牡蠣は生食するものなので、結果的にはよかったんですよね」
海の牡蠣を育てるのは、山である。
山の森や地表に落ちた雨が土中に滲み込み、地層によってろ過されながら栄養分を蓄えて、海へと流れ出るから。
だが、その栄養豊富な水を運ぶのは、なにも河川だけでなく、出口は河口だけでもない。地中を通る水、または地中から湧く水などもある。
『宮本水産』の「能登かき」を育むのは、そういった水が注がれる海だ。
「能登には大きい山がないんですよ。しかも昔、森と土を育てる落葉樹を切って、国の政策で杉をいっぱい植えてしまった。そのつけが今になって回ってきたのと、温暖化などの要因も重なって、ここ20年、牡蠣の成長は少しずつ悪くなっていると思います」
それでも七尾市の、ここ中島という地区は、山の手入れを極めて厚く行っているという。地主が私財を投じて植林し、またこれまでも宮本さんの父をはじめ地域の住民たちが山や森の手入れに参加してきた。
彼らが植えてきたのは、能登で「あて」と呼ばれる能登ヒバだ。材質が緻密で硬く、湿気にも強いため住宅用の建材として優れた樹木。そういう木は、やはり成長が極めてスローである。
「あてが成長して山が回復するまで、どのくらいの年数がかかるか。息子の代でも無理でしょうね。息子の次の代……どうだろうな。地主も代替わりするだろうし、今の志を継いでくれればいいけど」
能登の海は、里山と対を成す「里海」とも呼ばれ、宮本さんいわく「半島の自然は循環している」。人間もまた自然の一部。自分たちがひずみを作ってしまったら、そのつけは自分たちや、その子孫たちに巡り戻ってくる。
ひとりで完結する料理じゃない
CHAPTER 23『Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)』後編
能登というチームの力
『
Villa della pace
』のテーブルに着くと、土地の植物が漉き込まれた
能登仁行和紙
が一枚。その冒頭には、時候の言葉が添えられていた。
たとえば取材時、4月の初めはこんな一文だ。
「若芽色/山が冬の眠りから覚め、木々や草花の芽吹きが日毎に山の景色を替えていきます。山から生まれる新しい生命が、私たちの冬を乗り越えた身体を作り変えていくような感覚を覚えます。」
芽吹きゆく能登の山を思いながら、文字を追う。すると今度は、謎解きのヒントみたいな単語の数々。
「牡蠣 明日葉 青海苔」「畑」「クエ 春キャベツ アスパラガス」「七面鳥 新じゃが」……。
妄想を掻き立てるようなメニューにわくわくしながら、ふと裏面を見て、さらに驚いた。
料理に関わる食材の生産者、器やカトラリーの作家、空間を創り上げた職人たちの名がびっしりと刻まれているのだ。
野菜、七面鳥、牛乳、ジビエ、卵、パン・コンプレ、刺網漁、宝連葛、漆器(塗師、木地)、ステーキナイフ、陶器、硝子、設計、壁紙……。この日ならば32組。本当にびっしりと。
「僕ひとりで完結する料理じゃない」
平田明珠(めいじゅ)シェフの言葉に、あらためて、能登という半島の特別さを思う。季節の移り変わりが早い山、真逆の性質を持つ内海と外海、生活に根ざした人の技巧。
たしかに『Villa della pace』の皿は、能登のチーム力に支えられている。けれど半島に点在する宝を見つけ出し、ガストロノミーという表現に磨き上げる人がいなければ、やはり完成しない料理である。
人間が、立ち入ってはならない領域がある
CHAPTER 22『Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)』前編
僕が見ている風景を、皿の上に持っていきたい
料理に使う山菜や野草の収穫に連れて行ってほしい、とお願いしたら、平田明珠(めいじゅ)シェフは近所を散歩するみたいな格好で現れた。長靴こそ履いているものの、収穫用のカゴもないばかりか、手ぶらだ。
「僕が採りに行くのは、手つかずの森とかじゃないので。人間が立ち入っていい領域で、採るのも手で持てるかポケットに入るくらいの量」
オーベルジュ『
Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)
』から車で10分少々走り、訪れたのは神社だった。霊山と呼ばれる山に、飛鳥時代に創建された赤倉神社には、神仏分離以前の仁王像が構える門も遺る。
この仁王門を抜けた途端だ。清浄な空気、どれもが御神木のように敢然と立つ大木、艷やかな苔。結界を超えた、と感じた。
「植物の生態系も変わるんですよ」
拝殿に着くといつも、平田さんは「少し分けていただきます」と手を合わせる。鳥居の先は急な石段になっていて、奥の院と呼ばれる本殿へと続くのだが、採取するのは鳥居の外側だけ。
自分でそう決めている、と語る彼の「領域」が、じわりじわりと見えてくる。
神仏の領域、動物の領域、植物の領域。それらは人間が立ち入ってはならない場所で、能登の人々はこれまでも畏敬の念を抱きながら共存してきたのだ。
人間の領域である参道でも十分に、野イチゴの白い花、三つ葉、タラの芽などを次々と見つけることができる。だが、それさえも平田さんはむやみに採ろうとはしない。
「ここです」
声の示すほうを見ると、陽光の差し込むなか、澄んだ池が広がっていた。
「名水百選にも選ばれていて、ヨガやってる人がいたり、作業着のおじさんがお弁当食べてたり。この水辺にはミズブキも生えているし、葉わさびもすごくいいんですよ」
葉わさびはほかの川辺で採っていたが、2024年の能登半島地震で山が崩れてしまった。でも震災後、種が流れてこの池に新しく群生したのだそうだ。まったく、自然は強い。
葉を一枚もらって噛むと、みずみずしく、後から清涼な辛味がキリッときた。見た目通りのピュアな味。
「こっちはミズブキ。葉は地元ではカタハって言って、硬い葉だから食べません。茎はアクもないのでそのままキャラブキにしたり。茎や葉の付け根ににできるムカゴがまたおいしくて、僕は生のままサラダにしたり」
ここは平田さんにとって、アイデアの源泉であるらしい。
『Villa della pace』のアミューズに登場する「ブーケ」も、野草を摘みながら自分の手を見て「このままブーケのように届けられないだろうか?」と生まれた一品。
「僕が見ている風景を、皿の上に持っていきたいんです。水辺に生えている清々しさとか、花や実をつけた可愛い感じとか。自分が綺麗だなと思ったことをお客さんにも感じてほしい」
北海道 美瑛・東川編
地元の素材でつくる、という強さ
CHAPTER 21『忽布古丹醸造(ほっぷこたんじょうぞう)』
そこにホップがあったから
『
SSAW BIEI
』の庭で採れたラベンダーが、クラフトビールになったことがある。店主で料理家のたかはしよしこさんからそう聞いて、美瑛の隣町、上富良野を訪れた。
波乗りのようにアップダウンする一本道を抜け、辿り着いた『忽布古丹醸造(ほっぷこたんじょうぞう)』の前にはなぜか、止まったままの大きな観覧車。聞けば醸造所は、地域の観光スポット『
深山峠アートパーク
』の一角を“間借り”していて、シーズンの夏にはちゃんと動くという。
「花のビールはヨーロッパの伝統的にも存在します。スパイスと似た感覚で、味というより香りを生かすんです」
オーナーブリュワーの堤野貴之さんが上富良野で花のビールを造ったのは、「そこにラベンダーがあったから」。『SSAW BIEI』へ食事に行ったとき、庭からやさしい香りが運ばれてきたのだそうだ。
ラベンダービールは2023年秋の限定発売だから、残念ながら今はない。ということで、代わりに定番の「upopo(ウポポ)」を、仕込み中のタンクから取り出し、飲ませてくれた。
ウポポって、なんだか楽しげな名前。ごくんと流し込むと、喉の奥からグレープフルーツのようにみずみずしく、苦みを含んだ香りがぐんぐん追いかけてくる。豊潤だが、甘みはない。
頭の中で、ボブ・ディランが『風に吹かれて』を歌い始めてしまった。丘と森が重なり合う上富良野の、風みたいなピルスナー。なんて妄言が聞こえていたのだろうか。
堤野さんが、「ウポポ」とはアイヌ語で「歌」という意味だと教えてくれた。
堤野さんは、クラフトビールがまだ「地ビール」と呼ばれた時代から業界を支えてきた人である。同じ北海道の江別『
ノースアイランドビール
』醸造長を務め、高い評価をもたらした彼が、上富良野を選んだ理由とは?
またしても「そこにホップがあったから」である。
ビールの基本的な主原料は、大麦麦芽(モルト)、ホップ、水、酵母。日本ではコーヒーと同じようにビールもまた、輸入原料で造るのが一般的だ。
それでも北海道なら大麦や小麦は栽培されているものの、ホップは希少。多くのビール醸造家がそうであるように、堤野さんもまた畑に伸びるホップの蔓も、結球した実の姿も見たことがなかった。
「それがずっともやもやしていて、いつかは地元の材料でビールを造りたいと思っていました」
希少だが、北海道にはホップを商用栽培している土地が唯一あり、それが上富良野だったのだ。
家族との暮らしを、ちゃんと楽しむために
CHAPTER 20『SSAW BIEI』
朝、空気を吸うと緑の匂いがする
料理家・たかはしよしこさんのインスタグラムには、健やかで、色とりどりな美瑛の暮らしが映し出されている。
真っ白な雪とクリスタルな樹氷、新緑の白樺回廊でのピクニック、森の中の音楽会。分かち合える隣人がいて、家族がいる。
大人たちはリラックスした表情を浮かべ、小さな女の子は果てしない一本道を駆けてゆく。
よしこさんが、グラフィックデザイナーであり写真家の夫・
前田景さん
と娘の季乃ちゃんと一家で移住したのは2020年のこと。美瑛には、景さんの祖父である写真家・故前田真三さんが1987年に創設した『
拓真館(たくしんかん)
』があった。
まるで大地が呼吸しているかのように波打つ美瑛の丘は、斜面ごとに違う色で彩られたパッチワーク。それらはじゃがいも、小麦、アスパラガス、とうもろこしといった、作物の葉や花や実の色だ。
地元にとってはまったく現実的な、農作地帯の風景である。しかしそれが類まれなる美しさを持つことを、真三さんは写真を通して世に伝えた。
『拓真館』は、彼が拠点としたギャラリーである。美瑛町の人々とともに、廃校になった小学校の体育館を改装し、グラウンドには2500本の白樺を植樹。成長したその森は今、「白樺回廊」と呼ばれている。
美瑛の文化遺産ともいうべき『拓真館』。孫の景さんには、この場所を引き継ぎたいという願いがあり、よしこさんには移住への憧れがあった。
「素敵なお店や人がいっぱいの東京も大好き。でも、自分の時間や家族との暮らしも、ちゃんと楽しみたいなと」
3人で始めた、自然のなかでの暮らし。春は山菜、秋はきのこを採りに、山や公園へいそいそと出かける。レストランの仕事を終えて、夕暮れには家族みんなでテーブルを囲む。
食べ終わってお風呂やなんだとしているうちに眠くなり、早く布団へ入ったら当然、朝は早起きだ。
「目が覚めて外の空気を吸うと、緑の匂いがするんですよ」
見上げれば、町のどこにいても2000メートル級の十勝岳、美瑛岳を擁する連峰がいつでもそこに在る。
森に川、植物や動物の生態系を育てる山は、気持ちのいい空気や水を人里に送り込み、人もまた育んでくれるのだ。
人間と植物は助け合い、共存する
CHAPTER 19『Lienfarm(リアンファーム)』
農薬を使わなくても、虫がつかないのは
美瑛川を真ん中にして、美瑛の丘と対面しているのが西神楽の丘。
『Lienfarm(リアンファーム)』の畑は標高200メートル付近の、朝日を受ける東向き斜面に広がっている。春から秋にかけて約60種類ものハーブたちが競うように背を伸ばし、絢爛に花を咲かせるという、そのすべてがオーガニックだ。
畑に立つと、足がふっかりと土に沈んだ。訪れたのは晩秋だが、それでも歩き進むにつれてさまざまな香りが漂い、まるでハーブたちが挨拶してくれているようだった。
農薬を使わなくても、『リアンファーム』のハーブには虫がほとんどつかない。
なぜだろう?
訊ねると、代表の石田佳奈子さんは「森があるからじゃないかな」と答えた。
顔を上げて見回すと、畑を守るかのごとく、ぐるりと森。白樺、トドマツ、アカエゾマツ、エゾヤマザクラ。北海道ならではの、寒さに強い針葉樹と広葉樹である。
「虫は生息しているんですよ。でもそれを食べる虫もいて、それを食べる小動物、それを食べる鷲や狐がいる。動物たちが糞をすれば微生物の餌になる。生態系のバランスが取れているから、わざわざ畑のハーブを食べる必要がないのでしょうね」
話しながらも瞬時に花を選り分け、手早く、そして優しく摘んでいく。
石田さんは、植物療法先進国のフランスで有機農業と蒸留を学んだ、生産者であり蒸留家。2018年から自家栽培のハーブや森の樹木、野草から、ハーブティー、精油、蒸留水をつくり、ハーブソルトなどの調味料も手がけている。
違う色の空の下、2つの仕事と2つの暮らし
CHAPTER 18『東カワウソ』
人生最高に楽しかった12歳を、超えたい
写真家の萬田康文さんが、2024年から北海道・東川町へ移住する。寂しくなるなぁ、と仕事仲間で送別会をしたら、翌週には東京で写真の仕事をしていた。
「東川って、体感じゃ伊豆より近いですよ。飛行機はLCC(格安航空会社)なら往復15000円くらいだし、旭川空港から車で10分だし」
というわけで、2足のわらじを始めたのだ。写真の仕事が入ったら上京し、普段は東川でパスタ食堂『
東カワウソ
』を営む。
じつは萬田さん、『
しみじみパスタ帖
』(誠文堂新光社)などのレシピ本も著しているほど料理が得意。東京のアトリエでも、パスタやバーのイベントを度々行っていた。
けれども土地を買って家を建て、店を構えるとなるともはや本腰だ。写真家を東川へと駆り立てたものは、一体なんだったのだろう?
「釣りです」
冗談かと思いきや、真面目な話だった。
奈良県に生まれ、父の影響で子どもの頃からブラックバスを釣りに出かけていた。海がない代わりに、自転車で5分圏内にいくつも池がある。今日はどの池へ釣りに行こう?と、学校帰りはそわそわだ。
「12歳の頃、年間150日、冬以外は毎日釣りをしていたんです。それが人生最高に楽しかった期間。僕は今年49歳ですけど、あのアホみたいな楽しさをいまだに超えられていない。で、その12歳を超えるために東川へ来ました」
今、萬田さんは4WD車に釣り道具を積みっぱなしにし、隙あらば川へと走る。
大雪山系を源流とする忠別川は、眺望の開けた一級河川。彼はフライ・フィッシング専門だ。昆虫を模した毛針(フライ)で釣り上げる、イギリス発祥の紳士的なスポーツ。
だが萬田さんのそれは、多分に哲学的だ。
淡水魚への深い敬意とそれを釣る矛盾、キャッチ&リリースへの罪悪感を抱えたままの、釣り。
「魚にしてみれば、好物の餌を食べて、おいしい!と思ったら口の中に針がかかる。幸せな瞬間に最悪な事態が起きる。そんな残酷なことを、喜んでやってるわけです」
とはいえやめられないに決まっている自分を、どう肯定していくか?
その答えが、キャッチ&イート(釣って食べること)だった。
「キャッチ&リリースは娯楽ですが、キャッチ&イートは狩り。せめて、ありがたく食べることで自分の業(ごう)を減らしたい。また魚を釣る人が、生業(なりわい)として料理をしたらどうなる?っていう実験でもあります」
山がもたらしてくれる水
CHAPTER 17『中国茶とおかゆ 奥泉(おくいずみ)』
澄んだ空気のなかで、ゆったりと目覚めゆく
すこし湿った、冷んやりとした空気が支配する朝7時。開店一番乗りで『
中国茶とおかゆ 奥泉
』のドアを開けると、目に飛び込んできたのは窓の外だった。
稲刈りを終えた田んぼの向こうに、緑の濃淡、紅葉、黄葉が折り重なる山の波。てっぺんに雪を抱いた尾根には、手を伸ばせば触れられそうだ。
「こっちが旭岳、次が美瑛岳で、十勝岳かな。山の向こうから日の昇る様子が、ここから毎日眺められます」
店主の奥泉富士子さん、斎藤裕樹(ひろき)さん夫妻は、まだ暗い4時に店へ出る。竈(かまど)へ火を入れて湯を沸かし、米を炊き、昇りゆく朝の光とともに支度を整えていく。
お茶は、奥泉さんの仕事だ。
「中国茶は小さな茶器に繰り返しお湯を注いで、その都度、温かいお茶を味わってもらえます。10煎くらい、十分おいしく飲めますよ。むしろ1煎ごとに茶葉が開いて、変化する香りや味わいを楽しんでいただきたくて」
だから気ぜわしいランチは避けて、朝と午後の営業時間にした。
とくに、朝の空気には淀みがない。
澄んだ色というのも妙だが、そんなマジックアワーの力を借りて五感が開くのだろうか。中国茶のように悠々と、ゆったりと、人の体と心もまた目覚めていく。
「外」の人と文化を受け入れる町で
CHAPTER 16『Vraie(ヴレ)』
人口8600人、半数以上が移住者の東川町
北海道第二の都市・旭川、の隣にある小さな町が東川。
かつて日本各地の町村と同じく人口減少に悩んだこの町が、一風変わっていたのは、1985年に「写真の町」宣言をしたことだ。町おこしに、特産物でなくアートを掲げたのである。
フェスティバルに選手権など写真振興に本気で取り組み、結果、国内外問わず町の「外」から人が訪れた。
東川は、旭川空港から車で10分。来てみればアクセスはいいし、大雪山連峰は近いし、水もおいしい。多くの人がそれに気づいたのだ。
移住者がじわじわ増え始めたのは、1990年代半ばのこと。
一時は7000人を切っていた人口も、今や約8600人(2023年10月時点)。なんとその6割が移住者である。地元育ちにもUターン組など、一度外に出た経験を持つ人たちが増えていく。
建築、家具、デザイン、ファッション、音楽、ライフスタイル、そして食。「外」を知る彼らは、東川へ、都市的なカルチャーを持ち込んだ。
岡山 蒜山編
東京と蒜山で、呼吸になる
CHAPTER 15
『オカズデザイン』
荒れた森を再び生かしてくれるなら
『オカズデザイン』
の名前とその料理は、映画、書籍、広告など多くの媒体で目にすることができる。グラフィックやプロダクトのデザイナーでもある吉岡秀治さん・知子さん夫妻による、料理とデザインのチームだ。
彼らのテーマは「時間がおいしくしてくれるもの」。
時間にしかつくれない味がある。その真意は、煮込み時間や発酵期間のことだけではなくて、季節の巡り、種を蒔くことから始まる実りといった時間軸の話である。
風土、水、空気、人。
食を大きなスケールで俯瞰する彼らは、2018年から東京と岡山・蒜山(ひるぜん)との2拠点生活を始めている。
「水が圧倒的によかったんです」
北陸や四国、九州まで土地を探したという二人に、なぜ蒜山?と訊ねたら、そう返ってきた。
やわらかで澄み切った味わいの水。ただ飲んでも身体に染み込むようだが、その浸透力、親和性の高さはだしを取るといっそう感じる。素材の細胞間へするりと入り込み、持ち味を引き上げてしまう不思議な水だ。
2024年5月、蒜山のご自宅へ伺った。
中和村(ちゅうかそん)地区の中でも、集落を離れ、県道からも逸れた最奥地。湧き水の川筋にあたる土地で、上流には民家がないため生活汚染の心配もない。
というか、小川も含む7千坪の山林にぽつんと家が建っている。前の持ち主から「荒れた森を再び生かしてくれるなら」という条件で託されたのだった。
食べたい豆腐を作りたい
CHAPTER 14 『小屋束豆腐店(こやづかとうふてん)』
白くてやわらかい食べものに救われた
蒜山の山あいを車で走り、真加子トンネルを抜け中和村(ちゅうかそん)地区へ入ると、ほどなく『
小屋束豆腐店
』が見えてくる。
小山を背にしてぽつんと建つ一軒。この地区で唯一の豆腐店を商う豆腐職人は、妻であり、一児の母でもある松井美樹さんだ。
彼女とは、遡ること9年前の2015年秋に会ったことがある。
『
蒜山耕藝(ひるぜんこうげい)
』を訪ねたとき、「もうすぐ移住する豆腐職人がいるんです」と紹介されたのが松井さんだった。
「豆腐職人」というワードも新鮮だったが、現れたのが1985年生まれのニット帽を被った女性、というフレッシュなビジュアルも想定外。彼女は地元の出身でもなく、豆腐店の娘でもないという。
「東京で会社勤めをしていた頃、体調を崩して、食べものを受けつけられない時期があったんです。でも一つだけ、食べたくなったのがお豆腐。白くてやわらかい食べものに、救われました」
しかし日々、会社帰りにスーパーの豆腐コーナーへ寄るうち、なぜか商品に手を伸ばせないことが増えていく。これが食べたい、と心から思える一つが見つからない。棚にはたくさんの銘柄が並んでいるけれど、どれも似ているように思えたのだ。
「もっと多様性があってもいいのにな、と」
地方の豆腐店を訪ね、取り寄せ、東京の個人店を巡る。豆腐のことばかり考えているうちに、業界が抱える問題にも気づいていった。
「お豆腐屋の廃業が、年々増えているという現状です」
1960年には、全国に5万軒を超える豆腐店が存在した。今のコンビニほどの数だ。誰もが鍋やボウルを持参して、近所の贔屓店で作りたてを買った時代である。
それが大量生産化によって、今や専門店の数は10分の1以下。日本人にとってなくてはならない食品だというのに、それを作る店や職人は失われつつあった。
もちろん大量生産の安定、均質、低価格は大事だが、それ一色では土地やつくり手の個性という分野が抜け落ちて、なんだか不健全だ。
「私たち世代が、製法という面でも選択肢を残し、多様性を伝えていけたら」
オンラインショップやSNSが普及した今ならば、作りたい豆腐を小さく作り、小さく売って、暮らしを立てることができるかもしれない。
沸き立つ心のままに、松井さんは会社を辞め、東京・深川新大橋にある明治創業の『
美濃屋(みのや)豆腐店
』で見習いを始めた。
人がよく生きるということ
CHAPTER 13 『蒜山耕藝(ひるぜんこうげい)』
米のすべてが飲める酒、どぶろく
「代満」と書いて、「しろみて」と読むのだそうだ。
代(しろ)とは田のこと。「満てる」は中国地方の方言で、使い切る、無くなるという意味。
米づくりは、冬を越えて固くなった田へ水を引き、土を搔きほぐして再びやわらかな田に戻す作業から始まる。これを代掻き(しろかき)といい、代掻きをして苗を植え、植えるべき苗がなくなったら代満て。
つまり「代満」は、今年の田植えが無事に終了したことを指すと同時に、それを田の神に報告して、神と人間とがともに祝う行事のことでもある。
歓びと感謝と、米づくりの始まりとが溶け合う、なんと多幸感あふれる言葉だろう。
『
蒜山耕藝(ひるぜんこうげい)
』の高谷裕治さんが2023年から醸造するどぶろくには、この「代満」が名付けられている。
「田の神様と飲むなら、米が育った田と同じ土地の水で醸されたお酒がふさわしいと思いました。“しろ”という響きも、白いお酒であるどぶろくにつながります」
米、水、米麹を発酵させて、醪(もろみ)を造るところまでは日本酒と同じ。だが醪を搾って酒粕を取り除く日本酒に対し、どぶろくは搾らず、発酵した固体混じりの液体がまるごと酒になる。
だから日本酒は基本的にクリアで(にごり酒でも搾りの工程は入る)、どぶろくは米の白い色そのままだ。
チーズ職人のパッショーネ(情熱)
CHAPTER 12 『Il Ricottaro(イルリコッターロ)』
リコッタをつくりたいから、チーズをつくる
今年(2024年)6月に開催されたアルティザンチーズアワードは、日本で初めて、チーズの専門家のみが国際基準によって日本のチーズを評価するコンクール。この大会で、岡山・蒜山のチーズ工房『
Il Ricottaro(イルリコッターロ)
』の「リコッタフレスカ」が銀賞を獲得した。フレッシュなリコッタとしては、最高位だ。
チーズ職人・竹内雄一郎さんの、控えめに喜ぶ顔が目に浮かんだ。
高原の森の中、ぽつんと佇む工房を訪ねたのは、コンクール直前の5月のことだ。
「僕はリコッタをつくりたいから、チーズをつくるんです」
おもしろいことをいう人だなぁと思った。
なぜならリコッタとは、主役のチーズをつくる際に出るホエー(乳清)をricotta(再加熱)してつくられる副産物。いわば“おまけ”のほうを、彼は主役に据えているのだから。
でも、そういえば工房の名はIl Rcottaro=リコッタをつくる人、だ。
「修業したシチリアでは、地元のおばあさんが毎朝ボウルを持って工房へ買いに来ていました。お豆腐みたいですよね。できたてのリコッタはふわふわして、ミルクの自然な甘みと香りが身体にしみ渡ります」
熟成の工程を経ないリコッタは、たしかにお豆腐と似ているかもしれない。やさしい食べ心地も、日常としての存在も、白いルックスも。そして、デリケートで日持ちのしないところも。
遠い海外からの輸入では味わえない領域が、このフレッシュなチーズにはあるのだ。
『Il Ricottaro』のリコッタは、温めたホエーに、ジャージー牛のミルクと海塩のみを加え、凝固剤は使わない。細やかな温度管理と撹拌を繰り返すことで、自らの乳酸菌によって発酵させる。
カード(凝乳)と呼ばれるこの半固体が“ふるふる”になったところを見極めて、竹内さんはひとすくいずつ汲み上げ、小さなザルに揚げていく。自重によって自然に水分を抜いたら、完成だ。
商品はこのザルごとカップに入っているから、自宅で好みの固さに水を抜くこともできる。
工房で、熱々のリコッタをひと口食べさせてもらった。まさに寄せ豆腐の儚いやわらかさで、濃厚なコクと甘いミルクの香りは上等なホットミルクのようだ。
農のある暮らし、時々クラフトビール
CHAPTER 11 『蒜山醸造所 つちとみず』
滝の近くで、木の下で、野生酵母を採取する
立派な瓦屋根の平屋に、「すぎちゃん」と書かれた表札。家主の杉保志さんが20年勤めた真庭市役所を辞める時、同僚たちが贈ってくれた「がんばれ」の証である。
今、集落の人々にも「すぎちゃん」と呼ばれている彼は、公務員からクラフトビールの醸造家になった人だ。
家の庭先にぽんと置かれたコンテナ一つ、それが2023年8月に始まったばかりのマイクロブルワリー『
蒜山醸造所 つちとみず
』。杉さんがひとりで、サワーエール(酸味のあるビール)の『S』、ヴィンテージエールの『V』シリーズを造っている。
取材の前に、『
蒜山 鰻専門店 翏(りょう)
』で、Sシリーズ4回目のロット『S4』を飲んだ。「ナチュラルワインのようなビール」と聞いたが、たしかに、さまざまな鉱物が溶け合う土のような感じや苦味が、翏さんの清い鰻とよく合った。
そう伝えると、『S4』は、そうなりましたね」と杉さんはおもしろそうに答える。
「同じように造っても、毎回少しずつ味わいが違うんです」
理由は彼が、野生酵母によって醸しているから。
ビールに必要な原料は、水、モルト、ホップ、酵母。この酵母のところで、一般的には液状または粉状の既製品が使われるところ、杉さんは自然界に棲息する酵母を採取しているのだ。
「麦汁の入った瓶を、いい酵母がいそうな場所に持って行って蓋を開け、空気中の酵母菌を取り込みます」
ある時は蒜山の荘厳な滝、またある時は庭先の梅の木の下、マイナスイオン漂う森の入口。
10分ほど経って蓋を締め、20度前後の室温におくと酵母が動き出し、3日目あたりからぶくぶく発酵し始める。最後に「いい匂い」がしたら、いい酵母が採れた合図だという。
しかし自然はけっこう冷たいもので、そんな簡単にぶくぶくしてくれないし、発酵しても悪い匂いなら使えない。
何度も失敗を重ね、やっと採取に成功したのは、四つの幸せと書いて四幸(しこう)と呼ばれる渓谷だった。
澄んだ川に架かる小さな橋のたもとで、早朝に採り入れた酵母は元気に発酵。甘くやさしい匂いを放ち、はじめてのサワーエールが誕生した。
なぜ彼は、そんな「賭け」のような野生酵母を選ぶのだろう。
「逆に既製のイースト(酵母)を使ったら、ものづくりのおもしろさの半分くらいはなくなっちゃう。野菜の栽培で言えば、買ってきた肥料をあげて育てるか、農薬や肥料を使わず自然に育てるか、くらい違います」
清らかな鰻
CHAPTER 10 『蒜山 鰻専門店 翏』
2年連続ミシュラン一つ星の店を閉めて
たれをくぐらせた蒲焼が、なぜこんなにも美しいのだろう。
村田翏(りょう)さんの鰻料理は、ここ岡山県真庭市の蒜山(ひるぜん)という山里へ来て凄みを増した。
もともとは東京のミシュランスター店だ。
2013年、中目黒の路地裏に建つプレハブ2階というエッジの効いた場所に日本酒と鰻の店を開き、17年から2年連続で一つ星を獲得している。
ところが人気絶頂の19年に移住先を決め、20年春にはあっさりと店を閉じてしまった。
「田舎で暮らしたいとずっと思っていて」
そうして、妻でお燗番(本業は形成外科医)の朋子さんと移住したのだった。
二人は、ともに東京育ちである。
けれど、大学生までYMCAキャンプで活動した翏さんにとって、「山の気持ちよさ」は、身体が憶えた絶対的な幸福感。朋子さんもまた地方に赴任したことがあり、「自然が近い生活の楽しさ」が忘れられなかったという。
だから、「ずっと思って」いた。
そんな折、農薬や肥料を使わない自然栽培を実践する農家が、蒜山にいると聞く。蒜山ならば、毎春訪れる鳥取県・湯梨浜町の「山陰東郷」蔵元、
福羅酒造
から車で40分ほどだ。
店でも家でも自然栽培の野菜を愛用していた二人は、「どんな人が作っているんだろう?」と興味津々で、会いに行くことにした。
それが『
蒜山耕藝(ひるぜんこうげい)
』の高谷裕治さん、絵里香さん夫妻である。「自然栽培の野菜には“人”が映るんです。会ってみたら、気負いのない、真っ直ぐな人たちでした」
北海道 函館編
自由が尊重される豚
CHAPTER 09
『あかり農場』
土とともに生きる動物
「あと2、3日で産まれるんですよ」
『あかり農場』農場主の山田憲一さんの指さす方を見たら、お腹をパンパンに張らせた豚が、小屋の涼しそうな日陰でまどろんでいた。
豚は一度の出産で12〜15頭も産むという。いかにも重たそうで、そりゃあゴロンと昼寝したくもなるだろう、と思う。
小屋の外では産まれたばかりの仔豚たちが戯れ、彼らよりすこしお兄さんお姉さん豚は、笑っちゃうほど泥んこになって遊んでいる。
「豚は泥遊びが大好きですけど、そうすることで体を冷やして体温調節をしたり、寄生虫を自分で取ったりする。大事な営みでもあります」
憲一さんいわく、豚は土を食べたり、土の中で寝たり、土とともに生きる動物。土を掘る習性は、彼らの本能だ。
その尊厳を奪わぬように、屋根つきの小屋でも床は土。土にもみ殻を混ぜ込んでいるせいなのか、餌が良いのか、不思議なほど臭いがしない。
囲われた柵の中でなく、豚が好きなように外と中を行ったり来たりできるこの住処は、“豚舎”よりも“小屋”と呼ぶほうがふさわしいように思う。
彼らは、開かれた野原に飛び出しては小山から駆け下りるゲームを繰り返し、秋になるとくるみやドングリ、栗の木から落ちた実をカリカリしている。
人間と同じように、自由が尊重されている。
“おいしいパン”じゃなくていい
CHAPTER 08
『おおば製パン』
車から降りた途端、空気が違った
函館から車を走らせること40分。大沼国定公園の大きな湖、点在する小さな沼、その周りに茂る清々しい森を越えたあたりで『おおば製パン』が現れるはず。
見逃さないよう窓を開けて見ていたら、煙突から流れる煙が「ここだよ」と教えてくれた。素敵な看板は控えめな存在感で、店主である大場隆裕さんの佇まいを映すようだ。
薪窯で、天然酵母のパンを焼くために見つけた土地。
「自然がいっぱいで、大きな薪窯を置ける広さの建物で、煙が出ても迷惑をかけない場所」という条件がすべて揃った。
「ここは車から降りた途端、空気が違ったんです。清浄、というか」
“森町”の名の通り、周りは栗や白樺の美しい森。澄んだ空気を証明するように、真正面に見える駒ケ岳の稜線はくっきりと浮かび上がっている。
ぽつんと建つ一軒家は、「お隣さん」までとの距離も数百メートルだった。
まるで大場さんを待っていたかのようなこの場所を、ひと目で気に入ってしまったのは家族も同じだ。
最初は単身赴任の予定が、妻の久絵さん、3人の子どもたちも全員で移住することになり、2016年4月に『おおば製パン』を開業した。
「住んでみたら朝はすごく気持ちがいいですし、夕焼けも、夜の星空も綺麗。想像以上にいいところでした」
大場さんがパンを焼いている間、久絵さんが大粒のブルーベリーを「どうぞ」と持ってきてくれた。夏の1週間ほどと旬の短い果実だが、近くの森では今が盛りなのだという。
「野生のブルーベリー、朝に摘んだばかりなのでおいしいですよ。お店ではタルトに使います」
森や沢では、春に山菜、秋にはきのこが採れるし、近所には種取りをしてつないできた在来種の野菜や、西洋野菜を育てる『
政田農園
』がある。
さらに、この辺りでは自家畑が標準装備。大場家でも家族が食べる野菜やハーブを育てているけれど、周りの人たちも「たくさん穫れたから食べて」といろいろ持ってきてくれるから、日々の食卓は賑やかだ。
「お豆腐以外ならなんでも揃うんですよ」
久絵さんはそう言って、庭で農薬を使わずに育てたという、ホーリーバジルの冷たいお茶を注いでくれた。
幸福な山羊たちのチーズ
CHAPTER 07
『山田農場チーズ工房』
僕らはみんなで、一つの食卓をつくっている
本連載で最初に北海道の函館を取り上げたいと思ったのは、『
山田農場チーズ工房
』を営む、山田圭介さんのひと言がきっかけだった。
「僕らはみんなで、一つの食卓をつくっている」
「食卓」という言葉が、「食文化」にも聞こえた。
函館市とその近郊は、野菜、果実、肉、魚、パン、菓子、ワイン、そしてチーズまでが地元産でまかなえる。自然が豊かなうえ、技術を持った人たちが全国から集まっているからだが、それだけじゃない。
つくり手として、何を大切にしたいのか?
そんな食べものづくりの核心を、函館の生産者や料理人たちはお互いにわかり合い、わかち合い、自分たちの土地を揺り動かしている。
函館市内にあるレストラン『
コルツ
』の佐藤雄也シェフは、『山田農場チーズ工房』のスタート時から15年あまり、彼らのチーズを尊敬し、チーズを主役にした一皿をメニューに載せ続けている。
「熟成させたチーズは酸味もコクもあり、熟成させないフレッシュタイプはすごく緻密な味わい。春から秋にかけて山の環境が変わるにつれ、山羊の食べるものも変わるので、チーズの香りや味がどんどん、どんどん変化するんですよ。お客さんに、その時のその味を楽しんでもらいたくて」
料理人の感動を、更新しつづける
CHAPTER 06
『清和の丘農園』
4日経っても水が滴る野菜
前回の『
コルツ
』後編でも最多登場の『清和の丘農園』は、農薬や化学肥料を使わずにハーブや野菜、米を育てる、山本信頼(のぶより)さんと橋本哉子(かなこ)さんの ユニットだ。
彼らと佐藤雄也シェフとのはじまりは、『コルツ』開業の2003年頃までに遡る。
「当時『コルツ』はまだ小さな店で、野菜をきちんと保存できる設備もなく、カウンターにそのまま置いていたんです。けど、そんな放りっぱなしの野菜でも、切ると4日経っても断面から水が滴ってくる。その生命力に感動しました」
以来20年。料理人の感動を、更新しつづけているつくり手である。
かつて北海道大学で自然薯の研究をしていた山本さんは、夏休みにじゃがいも畑でアルバイトをしたことが、農家になるきっかけだった。
「ひたすら掘って、毎日汗だくになって。すごい大変なんだけど、なんか楽しかった」
農業を生業にしようか、でも、農業でやっていけるか? するとほどなく、厚沢部町(あっさぶちょう)にある清和小学校の閉校が決まり、教員住宅が貸し出されることになった。
「家賃5,390円。だったら妻と2人、なんとか生きていけるだろうと考えたんですね」
街と自然、歴史と未来 すべては別々でなく、つながっている
CHAPTER 05『コルツ』後編
2023年夏、『コルツ』のディナー全9皿
1.「グリーンアスパラガス 百合根と卵のサラダ」
2.「水茄子のカツレツ」
『清和の丘農園』の美しく強き水茄子。揚げればさらに迫力を増し、衣はカリッと、中の緻密な果肉はとろとろになる。
むいた皮もゆでて添え、水茄子のすべてを味わう一皿。合わせたリエットは、定番の肉ではなく、なんと海の鯖。函館沿岸で捕れる鯖を、『
あかり農場
』の豚肉から作る自家製ラードでゆっくりと煮た、軽やかなリエットに仕立てた。
ラードは、塩豚(豚肉を塩水で煮詰めた常備食材)を作る際に浮いた脂を利用した副産物。これまた上質な「旨味の塊」である。
風土と人を載せたテーブル
CHAPTER 04『コルツ』前編
つくり手との関わりから生まれる料理
私たちが函館へ向かうべき理由、それはレストラン『
コルツ
』にある。
料理だけでなくワインからチーズまで、ヨーロッパの食卓に載る素材がほぼ道南圏内でまかなえるという、類稀なる土地。その豊かさが『コルツ』のテーブルには集結している。
といってもそれらは集められたものでなく、料理人と、同じ視座を持つつくり手たちがお互いを引き寄せ合った結果だ。
緑の香りが弾けるハーブ、緻密な舌触りの山羊のチーズ、旨味に透明感さえ覚える豚肉、すうっとやわらかく染み込む白ワイン。
つくる人々の志や人柄までをも載せたテーブルは、私たちに函館の風土と人を想像させてくれる。
今、ローカル・ガストロノミーが脚光を浴びているが、オーナーシェフの佐藤雄也さんは、20年前の2003年に『コルツ』を立ち上げた。
函館で、料理を作って、生活をする。
東京やイタリアへ行ってもその気持ちが揺るがなかったのは、シンプルに、函館が大好きだからだ。
都市であり、車で小1時間も走れば大自然が広がる街。若き佐藤さんは散歩するみたいに海へと潜り、山を登って植物を覚え、川では釣りを、冬は犬ぞりで遊んだ。
料理人となってからは、地元で長く続ける大先輩の生産者や、よその土地から函館へやってきた同世代の生産者とも交流を重ねてゆく。
山の斜面で山羊を放牧する『
山田農場 チーズ工房
』、北斗市で自然な造りのワインを醸す『
農楽蔵
』、無農薬・有機栽培の野菜と米をつくる『清和の丘農園』、自家飼料とフリーストールで豚を育てる『
あかり農場
』。
魚介のことなら、個性派セレクトの独立系『
ヤマタカ高野鮮魚店
』、南茅部の魚介に強い『
坂井鮮魚店
』。昭和9年から続く『
中島廉売
』、地元の市民に料理人、観光客も一緒に賑わう『
はこだて自由市場
』の鮮魚店。
彼らはときに先生で、家族で、同志だ。
敬意でつながり、顔を見て、些細な会話を重ね、困った時には手を貸し合って。
『コルツ』の皿は、「つくり手との関わりから生まれる料理」である。
土地と人、暮らしの中から生まれるもの
CHAPTER 03
『もりかげ商店』
「いい循環」と「動き」のある街
民家の2階、ゆったりとした台所の窓から、海の気配をふくんだ風が流れた。
ここが新しい『
もりかげ商店
』の工房。森影里美さんが焼いたお菓子は、函館の透明な光の中で輝くようだ。
棚に並んだガラス瓶には、天日乾燥させた桑の葉やヨモギ、セミドライにした夏のトマト。野草や野菜といった、およそお菓子のイメージから遠い素材である。
『もりかげ商店』はもともと、東京・目黒にあった。
不思議とお酒に合う粗塩のかりんとうや、きなこクリームのレーズンサンド。クッキー、タルトといった素朴な焼き菓子をひとりで作り、ウェブ通販と、ときどきリアル店舗もオープンする。どちらもインスタグラムで告知すると、早々に売り切れてしまうファントム(幻)な店。
ところが2022年4月上旬に移転の告知がされると、下旬にはもう、森影さんは函館で暮らしていた。夫でデザイナーの
菅渉宇
(すが・しょう)さんと二人で移住したのだ。
急すぎる展開。
何しろ初めて函館を訪れたのがわずか5カ月前。北海道・余市への旅のついでに、友人がもうすぐ農業を始めるという函館にも足を伸ばしただけ、だったのに。
「行ってみたら、食のつくり手も、飲食店や酒屋といった伝え手もすごく魅力的だったんです。それぞれに活動しながら、共通する価値観でつながり、いい循環ができている。私たちもその循環の一つになれたら楽しいだろうな、とわくわくしてしまった」
街が動いている。今この時を掴むように、夫妻はえいや!と飛び込んだ。
道南エリア、食べものづくりの交差点
CHAPTER 02
『カフェ・ウォーター』
道南エリア、
食べものづくりの交差点
料理人という活動家
東京の人気店を飛び出し、長崎・雲仙でレストランを開店した原川慎一郎さんが、今度は北海道・函館に第二の拠点となるカフェを構えた。
都市から地方、地方と地方。
彼の目には、一体何が見えてるんだろう?
原川さんは東京時代から、常に動向が注目されてきた料理人だ。
2012年にオーナーシェフとして目黒に『
BEARD(ビアード)
』を構えながら、アメリカ・カリフォルニア州バークレーのレストラン『
Chez Panisse(シェ・パニース)
』でも研修を重ねた。
「人間にとってよい食、自然にとって持続可能な食とは何か」を軸に、食の革命を起こしたアリス・ウォータースのレストラン。彼女は「食べる」ということから、素材、産地、環境、社会、人の関わりを紐解いた。
一方東京では、まだ多くの人が「自分の食べるものが、どこで、誰に、どうつくられているか」さえも想像しない現実がある。
その危機感を放ったらかしにしない原川さんは、“料理人という活動家”になった。
2017年には『シェ・パニース』の元料理長、ジェローム・ワーグとともに東京で『
ザ・ブラインド・ドンキー
』を立ち上げ、日本各地の信頼できる食材を都市の人々に伝えた。
かと思えば2020年には東京を飛び出して、長崎・雲仙に移住。新たに『ビアード』を開店したのである。
自然の力を借りて、ワインを醸す
CHAPTER 01
『農楽蔵(のらくら)』
ブドウと微生物がなりたいように
函館発のワイン、『
農楽蔵(のらくら)
』をご存知だろうか?
濃密さと爽やかさをあわせ持つ白と、ピュアでやわらかな『NORA(ノラ)』シリーズ
土地の個性を味わう『ノラポン』、すいすい吸い込んでしまう楽ちんな地元限定ワイン『葡萄戦隊のまさーる』。
飲む人をくすっとさせるネーミング、心をほどくのびやかな味わいは、ブドウと微生物が「なりたいように」醸された結果だ。
夫の佐々木賢さんが栽培、妻の佳津子さんが醸造を担当するワイナリー。
二人がワイン造りを学んだフランス・ブルゴーニュのように「しっかり熟しつつ、酸が利いているシャルドネが育つ場所」を8年も探し歩き、函館市のお隣、北斗市文月という小高い山の地区に南向きの畑を見つけた。
2011年からブドウ栽培、2012年には函館市内にワイナリーを構え、醸造を開始。
造りたいのは、「畑の生態系を守りながらブドウを育て、自然界に生きる野生酵母の力を借りて醸す」ワインである。
ところが、当時はまだ、ナチュラルワインという言葉も一般的ではない時代。
賢さんが以前働いていた山梨には同じ志を持つ仲間がいたけれど、ここ函館では“異端”になった。
「造りたいワインが、造ろうとしている土地で 理解されないというのは、やっぱりきついです」
















































































































































































































































































