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recipe僕らの新しいローカリズム

清らかな鰻

2024.07.21
清らかな鰻

僕らの新しいローカリズム|岡山・蒜山

岡山と鳥取の県境にある真庭市蒜山は、山麓に広がる高原地帯。
蒜山高原ではジャージー牛が放牧され、そのミルクでイタリアのチーズが作られる。
津黒高原には、かつて中和村と呼ばれた地域がある。人口600人弱。
観光地でもないこの里山に、しかし近年ではものづくりの移住者が相次いでいる。
農家、豆腐職人、鰻職人、料理家、醸造家、陶芸家、金工作家。
地元の人が「何もない」というこの土地が、彼らを惹きつける理由はなんだろう?

写真/伊藤徹也 文/井川直子

 

  • 蒜山 鰻専門店 翏
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CHAPTER 10 『蒜山 鰻専門店 翏』

2年連続ミシュラン一つ星の店を閉めて

たれをくぐらせた蒲焼が、なぜこんなにも美しいのだろう。
村田翏(りょう)さんの鰻料理は、ここ岡山県真庭市の蒜山(ひるぜん)という山里へ来て凄みを増した。

もともとは東京のミシュランスター店だ。
2013年、中目黒の路地裏に建つプレハブ2階というエッジの効いた場所に日本酒と鰻の店を開き、17年から2年連続で一つ星を獲得している。

ところが人気絶頂の19年に移住先を決め、20年春にはあっさりと店を閉じてしまった。
「田舎で暮らしたいとずっと思っていて」
そうして、妻でお燗番(本業は形成外科医)の朋子さんと移住したのだった。

二人は、ともに東京育ちである。
けれど、大学生までYMCAキャンプで活動した翏さんにとって、「山の気持ちよさ」は、身体が憶えた絶対的な幸福感。朋子さんもまた地方に赴任したことがあり、「自然が近い生活の楽しさ」が忘れられなかったという。
だから、「ずっと思って」いた。

そんな折、農薬や肥料を使わない自然栽培を実践する農家が、蒜山にいると聞く。蒜山ならば、毎春訪れる鳥取県・湯梨浜町の「山陰東郷」蔵元、 福羅酒造 から車で40分ほどだ。
店でも家でも自然栽培の野菜を愛用していた二人は、「どんな人が作っているんだろう?」と興味津々で、会いに行くことにした。
それが『 蒜山耕藝(ひるぜんこうげい) 』の高谷裕治さん、絵里香さん夫妻である。「自然栽培の野菜には“人”が映るんです。会ってみたら、気負いのない、真っ直ぐな人たちでした」


フロストバレーに似た空気感

度々通うようになった蒜山の地は、翏さんがYMCAの長期キャンプで滞在した、思い出深いアメリカのフロストバレーを思わせた。
「土地にエネルギーがあるというか、気持ちがいい」
山々に囲まれた集落、澄んだ水が湧き出る泉、小川のせせらぎ。それらの生態系が生む、神社のように清々しい空気。二人揃って、ここがどんぴしゃだ!と確信できた。

蒜山で空き家を探し、かつて中和村(ちゅうかそん)と呼ばれた地域に見つけた家には、28度の温泉水が引かれていた。
偶然にも、鰻の生育に最適な水温が20度台後半。養殖池ではこの温度帯で育てられるが、池揚げした後に「鰻を立てる」(数日間水にさらして泥を吐かせる)工程では水をかけ流すため、業者の多くは井戸水を使い、その水温は低い。
しかしここでは池と同じ、鰻が元気になる水温で立てられるというわけだ。

蒜山に「呼ばれる」ように、20年4月に移住。傷んだ家屋をDIYで整えつつ、蒲焼の通信販売を始め、同年12月に『 蒜山 鰻専門店 翏 』を開店した。
店までの公共交通機関はなく、冬には雪も降る。「東京の一つ星店がそんな場所へ?」と驚いた地元の新聞やテレビが取材にきて、わずか8席の店は、岡山、鳥取、東京からのお客で埋まった。


鰻を余すところなく使った、独創の料理

2024年5月、新緑の蒜山。
『蒜山 鰻専門店 翏』はこの日もまた、平日の昼間だというのに満席だ。
木造一軒家の庭先には蕗に山椒、胡蝶花とも呼ばれるアヤメ科の花が咲き、玄関には鳥取の海岸で拾った丸石のオブジェ。板の間に上がると、中目黒時代のカウンター天板がローテーブルとなって再生されていた。
大きな窓が開け放たれた空間は、部屋全体が縁側のような心地よさだ。目の前に広がるのは、夫妻が今年から始めた田んぼである。

席に着き、まずは同じ旧中和村の『 蒜山醸造所 つちとみず 』サワーエールを注文。野生酵母で造る、朋子さんいわく「ナチュラルワインのようなビール」である。

12時、一斉スタートで食事が始まった。鰻を余すところなく使う鰻づくしだけれど、まったく飽きる暇がない。
最初の小鉢は、菊芋と黒文字のピュレに、ひと口大の焼き鰻。菊芋の土っぽさ、黒文字の清涼感が鰻の香りと混ざり合う。
続いて、こっくりとした鰻の蒲焼きを、『 パパラギ農園 』の平飼い卵によるだし巻き玉子で巻いたうまき(追加注文)。
酒肴3品は肝・ヒレ・骨のバリエーションだ。肝はわさびと醤油漬け。長いヒレは串に巻きつけて炭焼きに。骨はせんべいだが、揚げるのでなく、塩水で炊いたものを干してからカリッと焼き上げている。

いわゆる白焼きは、ここでは「山陰東郷」の生酛を3度塗りする、贅沢な「酒焼き」と呼ぶ。
一転して、焼いた鰻と旬の筍、山椒の葉、鬼おろしの大根をサンドした、フレンチのようなケークサレ。ふわふわの鰻と、ほくほくのそら豆を包んだ春巻きは、紫蘇の実と『蒜山耕藝』の塩麹を薬味に食べる。

椀蓋を開けて思わず息を呑んだのは、鰻のスープだ。
具がまったくない、澄んだ汁だけの潔さ。鰻の頭をじっくりと炊いたこの液体へ、翏さんは微かにマンダリン・オレンジのビターズ(蒸留酒)を垂らしている。綺麗なのに複雑で、爽やかなのに鰻の旨味を感じる、繊細な味の調律である。

高まったところで、クライマックスの鰻丼が現れた。
蒲焼は、焼き・蒸し・焼く、の関東方式だが、彼はことのほかしっかりと焼き上げ、かといって焼き過ぎの感もない。
不思議なことに、カリカリの皮と、ふわふわの身が両立しているのだ。

その串打ちと焼き方は、独特だった。
一般には、2つに割った鰻の腹身と尾身を組み合わせて1本の串に打つ。しかしそれでは腹と尾の厚みが違い「火の通りが不完全」と考える彼は、ひと手間かけて腹と尾に分け、それぞれ別に焼く。つまり0.5尾ずつ細やかに焼き分けるのだ。
「そうして均一に火を通したうえで、ほどよい焼きムラをつけたい」
焼き台の上で、翏さんの手は休むことなく、串をポジションチェンジさせていた。

  • 鰻を余すところなく使った、独創の料理
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何事も、鰻にストレスがないように

ああ、清い。イメージでなく、味覚としての「清らかな味」。
中目黒時代から凄みを増したと感じたのは、きっとこの部分だと思う。どんな仕事をしているのか知りたくて、翌朝に仕込みを見せてもらった。

日により異なる産地から届く鰻は、温泉水で1週間泳ぎ、艷やかな身をくねらせていた。ここから氷で仮死状態にする店もあるが、「ダメージになる」と考える彼は、動きが鈍くなる4度の冷水に移す。
この時、活発な鰻をするりと掴めるのは、鰻と呼吸を合わせているからだという。

何事も、鰻にストレスがないように。
まな板で目打ちするにも、急所を一発で決める。背に包丁を入れ、さーっと裂(さ)くと、輝くような白い身が現れる。肝を取り、骨を外し、尾やヒレを削ぎ。

そして、徹底して血を排除する。
「いろいろ実験して、鰻の臭みは、空気に触れて酸化した血の臭いだとわかったんです。鰻職人の中には“血が鰻の味だ”という人もいますが、よほどすぐに焼かないと、臭みになると僕は思う」
取った頭は冷水に落とした後にも血を搾り出して抜き、身や骨の毛細血管に溜まった血も残さない。まな板や手も、こまめに洗い流していた。

鰻のためじゃなく、自分たちのために

翏さんは、いわばインディペンデントな鰻職人だ。
もともとはバンドマン。音楽活動をするためのアルバイトとして、東京の老舗鰻店で働いた。なぜ鰻かというと、子どもの頃から大好物だったのだ。
純粋に「好き」だから興味津々。上手い先輩を自分で見極め、技術を盗み、勝手に自主練・自主研究。鰻職人は「串打ち3年、裂き8年、焼きは一生」といわれるそうだが、結局翏さんは13年、すべての仕事を覚えて独立した。
はじめから、求めていたのは「自分がおいしいと思う鰻」。そういう動機の職人は、たぶん一生「もっとおいしくできるんじゃないか」と考え続けることになる。

蒜山に移住したのは、「鰻のためじゃなく、自分たちのため」と村田夫妻は言う。
津黒泉水へ湧き水を汲みに行き、淹れるお茶のおいしさ。畑仕事に家の修理、季節の仕事と、やることは山積みでも、山の景色を眺める度に感動できる日々。

移住してから子を授かり、家族が増えた。やがて入学することになる中和小学校は、朋子さんいわく「国宝級」に素晴らしい学校だそうだ。
「子どもたちが、自分の思っていることをきちんと言葉にできる。人の意見も尊重する。先生方がそうしているからです」
子どもの数が減っている今、この小学校を存続させることが、彼女の新しい生きがいになっている。
一方、翏さんのほうは今年、サンフランシスコのレストランに招かれて鰻を焼いた。家族3人、揃って蒜山から渡米したという。
「東京で暮していた時には、想像もできなかった展開ですよね」
山に囲まれた、この小さな村に来て、彼らの世界は広くなった。

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うなぎ翏

蒜山 鰻専門店 翏(りょう)
2020年12月に開店。村田翏さんが料理を、朋子さんが接客とお燗番を担当する。二人は日本酒の熟成・燗酒をはじめ、ワインなどお酒にも詳しい。自家製黒文字茶といったノンアルコールも充実。昼のコース営業のみ(12時一斉スタート)、完全予約制。予約はメール(ryo.reserve@gmail.com)にて受付。
鰻蒲焼きは、調理した当日に出荷する通信販売もあり。
 通販販売はこちら

岡山県真庭市蒜山下和1705-6

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「僕らの新しいローカリズム」岡山・蒜山編がはじまりました。
全6回でお届けいたします。
次回は、8月20日ー 毎月、満月の日に新たな記事を更新
CHAPTER 11 『蒜山醸造所つちとみず』

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