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recipe僕らの新しいローカリズム

山がもたらしてくれる水

2025.02.11
山がもたらしてくれる水

僕らの新しいローカリズム|北海道 美瑛・東川

小麦、じゃがいも、とうもろこしなどの畑がパッチワークを織りなす丘の町・美瑛(びえい)。
そのお隣で、大雪山連峰に育まれた清冽な地下水が生活水、という水の町・東川。壮大な山岳、森林、河川に恵まれた両者は、古くから写真カルチャーが息づく土地柄でもある。旭川空港から、美瑛は車で15分、東川は10分。じつは大都市からのアクセス抜群なこの地では今、新しい人々がさまざまな食文化を持ち込み、それぞれの世界観を創っている。

写真/伊藤徹也 文/井川直子

 

  • 緑の濃淡、紅葉、黄葉が折り重なる山の波
  • 中国茶とおかゆ 奥泉
  • 中国茶とおかゆ 奥泉
  • 中国茶とおかゆ 奥泉
  • 中国茶とおかゆ 奥泉
  • 中国茶とおかゆ 奥泉

CHAPTER 17『中国茶とおかゆ 奥泉(おくいずみ)』

澄んだ空気のなかで、ゆったりと目覚めゆく

すこし湿った、冷んやりとした空気が支配する朝7時。開店一番乗りで『 中国茶とおかゆ 奥泉 』のドアを開けると、目に飛び込んできたのは窓の外だった。
稲刈りを終えた田んぼの向こうに、緑の濃淡、紅葉、黄葉が折り重なる山の波。てっぺんに雪を抱いた尾根には、手を伸ばせば触れられそうだ。
「こっちが旭岳、次が美瑛岳で、十勝岳かな。山の向こうから日の昇る様子が、ここから毎日眺められます」
店主の奥泉富士子さん、斎藤裕樹(ひろき)さん夫妻は、まだ暗い4時に店へ出る。竈(かまど)へ火を入れて湯を沸かし、米を炊き、昇りゆく朝の光とともに支度を整えていく。

お茶は、奥泉さんの仕事だ。
「中国茶は小さな茶器に繰り返しお湯を注いで、その都度、温かいお茶を味わってもらえます。10煎くらい、十分おいしく飲めますよ。むしろ1煎ごとに茶葉が開いて、変化する香りや味わいを楽しんでいただきたくて」
だから気ぜわしいランチは避けて、朝と午後の営業時間にした。
とくに、朝の空気には淀みがない。
澄んだ色というのも妙だが、そんなマジックアワーの力を借りて五感が開くのだろうか。中国茶のように悠々と、ゆったりと、人の体と心もまた目覚めていく。


切り立つ山の岩場に自生する武夷岩茶

『奥泉』の中国茶は、ほとんどが「武夷岩茶(ぶいがんちゃ)」。烏龍茶の一種といえど、かなり特異なプロフィールのお茶である。
産地は中国福建省の武夷山(ぶいさん)。標高2000メートル級の峰を含む、この山岳地帯は「文化と自然が交わる複合遺産」としてユネスコ世界遺産に登録されている。
神が切り裂いたかのような鋭い絶壁と、その裂け目を流れる美しい渓流。厳しい岩山は修行の場でもあり、道教の寺院があちらこちらに点在する。この地へ、お茶を求めて修行僧のごとく足を踏み入れた奥泉さんいわく、「険しい分、水墨画のように幽玄な風景」が広がっていた。
武夷岩茶の茶木は、これら岩山の岩場に自生する。岩石のミネラル分や、周辺に生育し漢方薬の原料にもなる野草の養分を吸収して育つという、誠にミステリアスな植物である。

お茶の品質や味わいは、製茶する茶師によっても大きく違う。
『奥泉』で扱うのは、中国国家級非物質文化遺産伝承人、日本でいえば人間国宝にあたる茶師の劉宝順(りゅう ほうじゅん)さんによる伝統製法の武夷岩茶のみ。当然、希少で貴重なこのお茶を、常に20種あまりも用意している。
「お店を開くなら、劉さんのお茶以外は考えられませんでした。体に負担がないだけでなく、漢方薬をおいしく飲むような感覚。内臓が疲れている時、寝不足気味の時、元気が出ない時、その時々の体の声を聞いて、ピンときたお茶を飲むと調子がよくなりますよ」


すべての住民が天然水を享受する町

奥泉さんと武夷岩茶の出合いは、25年ほど前、友人からのいただき物だった。
飲んだらあまりにおいしくて、きちんと淹れたくなって茶道具を揃え、さらには中国政府認定の評茶員と茶藝師の資格まで取得。東京・中目黒の中国茶専門店『 岩茶房 』で経験を積んだ。

2016年、夫婦ともに憧れた地方暮らしに踏み切って、最初は友人に勧められた札幌・円山で『奥泉』を開店。ここで『 ヴレ 』の村上智章さん、愛さん夫妻と交流ができる。彼らはすでに東川町への移住を決め、休日になると物件を探しに札幌から通っていた。
「ある時、東川町の水がおいしいよ、と分けてくれたんです。本当にお茶が変わる。それで札幌よりもっと田舎へ移住しようと、北海道のあちこちを訪れてはお茶を淹れて、水を探しました」
だが、腑に落ちるのはやはり東川町の水。
ここは北海道で唯一、上水道のない町、いや必要のない町だ。大雪山連峰の麓に位置し、山の地下水が最初に湧き出る人里である。
そのため町内の全世帯で、蛇口をひねれば天然水が流れ出る。雪解け水が地中に浸透し、ろ過されながら土の栄養分を取り込んだ水、それをみんなが享受しているのだ。
「ミネラル分が多い中硬水なので、お茶用には瓶(かめ)に天然水を汲み、竹炭を入れて一晩寝かせまろやかにして使います。甘みを感じるこの水は、中国茶ととても相性がいい」
東川町へ引っ越して、新たに店を構えたのは2020年1月。暮らしてみると、水が自然の産物であることを改めて実感した。
春の水で淹れるお茶はやや軽めの印象になり、夏は味の透明感が増す。秋は最も変化が激しく、日々、水と茶葉が予想外の化学反応をしてくれる。一転して冬は、寒さが深まるにつれ落ち着いたコクが出る。
水は生きもの。東川町の水で、お茶もいちだんと豊かな表情を見せ始めた。


  • 武夷岩茶
  • 東川町の水を使った中国茶
  • 東川町の水を使った中国茶
  • 東川町の水を使った中国茶
  • 東川町の水を使った中国茶
  • 点心

フレンチのソースのごとく濃密な「おかゆ」

奥泉さんのお茶に寄り添うのは、斎藤さんが炊くおかゆと点心である。といってもそれは、私の記憶にあるどの「おかゆ」とも違っていた。
ぽってりとしたテクスチャーの白いごはんは、もはや糊に近いくらい炊き込まれ、米粒は崩れつつもきびきびとした食感を残す。米の野太い旨味と甘味、それでいて後口はさっぱり、のコントラスト。 米は「おぼろづき」だと斎藤さんが教えてくれた。
もち米とうるち米をかけ合わせた北海道特産の銘柄で、もち米のようにもっちりとした粘り気と、うるち米のようにさらりとした食べ心地のいいとこ取りだ。
東川町は、盆地特有の寒暖差に恵まれた米どころでもある。そういえば店の周りも田んぼだらけだ。
「隣町で精米して、だしを使わず、米が育つ田んぼと同じ東川の天然水で炊きます。あとは塩と生姜、少しのごま油。最後に旬の野菜をトッピングするだけ」
レシピを聞けば極めて単純に思えるけれど、およそ1時間、斎藤さんは寸胴鍋につきっきりだった。
案外強めの火力で、フレンチのソースを煮詰めるかのごとく味を凝縮させていく。独特の濃密感と舌触りは、きっとこの技術から生まれている。

斎藤さんは映画を学ぶためにフランスへ渡り、帰国後は東京のフランス料理店で働いた人だった。

勤め先は、高田馬場で25年続く剛健なビストロ『 ラミティエ 』と、洗練された素材使いのレストラン『 エミュ 』。どちらの店でもサービスを務めながら、厳しいシェフたちの仕事を学んできた。

点心を食べれば、なおさら納得だ。
しゅうまいは、豚肉を6ミリ角と9ミリ角の2サイズで挽き、不規則が生む小気味よい歯ごたえを計算。ガシッと噛めば、肉汁がまた旨い。
餃子もまた豚肉、ネギ、生姜のミニマムな構成ながら、隠し味のたまり醤油がそれらをつなげる。にんにくもニラも使わない、醤油も酢もラー油もいらない、餡と皮の滋味をひたすら堪能する餃子である。

「東川の水は、点心の粉ものともよく馴染むんですよ」
それは花巻を食べるとよくわかる。
まんじゅうの「皮だけ」みたいな点心は、国産小麦粉の穏やかな旨味と、もちふわっとした食べ心地。最初はそのまま、途中からコンデンスミルクをつければ懐かしい味わいに変わる。

私の選んだ武夷岩茶の「鳳凰水仙(ほうおうすいせん)」は、最初に花のようなエレガントな香りが突き抜けた。口に含むと、マスカットを思わせるジューシーな酸味と果実感。それがおかゆや点心とともに飲み進むと、不思議と甘味が口の中を覆っていくのである。
お腹は温まり、空もすっかり明るくなった。
再び窓の向こうを眺めると、田んぼから霧のような白いものが立ち上っていた。冷え込んだ夜の翌朝に見られる、「けあらし」と呼ばれる気象だそうだ。
「冬はマイナス20度、30度にもなる土地ですから」
ゆっくりと、ゆっくりと、自然とともに深呼吸するような時間。こんな朝の迎え方を、今まで私は知らなかった。

  • 奥泉の点心
  • 奥泉の点心
  • 奥泉の点心
  • 奥泉の点心
  • 奥泉のおかゆと点心
  • 奥泉の点心
  • 奥泉の点心
  • 奥泉のおかゆと点心
  • 奥泉のおかゆ
中国茶とおかゆ 奥泉
中国茶とおかゆ 奥泉

おかゆ、点心のほか、マーラーカオやパイナップルケーキなどのあまいもの、朝限定・午後限定のセットもあり。持ち帰り、地方発送(2500円、3000円、5000円のセット)可。斎藤さんは2025年秋頃に奥泉店舗敷地内にマイクロシアターの開館を目指している。

北海道上川郡東川町東4号北2番
TEL|0166-56-0280
営業時間|7:00(冬季は8:00)〜10:30(L.O.)、13:00〜15:30(L.O.)
定休日|火、水+不定休あり( Instagram にて確認を)

NEXT CHAPTER

「僕らの新しいローカリズム」北海道の東川・美瑛編は全6回。
第3回は、東川町で2025年に開店したばかりのパスタ食堂『東カワウソ』。
店主は写真家の萬田康文さんです。東京と東川、写真と料理。2つの拠点と仕事をもってワーク&ライフを楽しむ人の、東川でしか叶わない暮らしをお伝えします。

次回は、2025年3月14日―毎月、満月の日に新たな記事を更新

CHAPTER 18 coming soon

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