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recipe僕らの新しいローカリズム

違う色の空の下、2つの仕事と2つの暮らし

2025.03.14
違う色の空の下、2つの仕事と2つの暮らし

僕らの新しいローカリズム|北海道 美瑛・東川

小麦、じゃがいも、とうもろこしなどの畑がパッチワークを織りなす丘の町・美瑛(びえい)。
そのお隣で、大雪山連峰に育まれた清冽な地下水が生活水、という水の町・東川。壮大な山岳、森林、河川に恵まれた両者は、古くから写真カルチャーが息づく土地柄でもある。旭川空港から、美瑛は車で15分、東川は10分。じつは大都市からのアクセス抜群なこの地では今、新しい人々がさまざまな食文化を持ち込み、それぞれの世界観を創っている。

写真/伊藤徹也 文/井川直子

 

  • 東カワウソ
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CHAPTER 18『東カワウソ』

人生最高に楽しかった12歳を、超えたい

写真家の萬田康文さんが、2024年から北海道・東川町へ移住する。寂しくなるなぁ、と仕事仲間で送別会をしたら、翌週には東京で写真の仕事をしていた。
「東川って、体感じゃ伊豆より近いですよ。飛行機はLCC(格安航空会社)なら往復15000円くらいだし、旭川空港から車で10分だし」
というわけで、2足のわらじを始めたのだ。写真の仕事が入ったら上京し、普段は東川でパスタ食堂『 東カワウソ 』を営む。
じつは萬田さん、『 しみじみパスタ帖 』(誠文堂新光社)などのレシピ本も著しているほど料理が得意。東京のアトリエでも、パスタやバーのイベントを度々行っていた。

けれども土地を買って家を建て、店を構えるとなるともはや本腰だ。写真家を東川へと駆り立てたものは、一体なんだったのだろう?
「釣りです」
冗談かと思いきや、真面目な話だった。
奈良県に生まれ、父の影響で子どもの頃からブラックバスを釣りに出かけていた。海がない代わりに、自転車で5分圏内にいくつも池がある。今日はどの池へ釣りに行こう?と、学校帰りはそわそわだ。
「12歳の頃、年間150日、冬以外は毎日釣りをしていたんです。それが人生最高に楽しかった期間。僕は今年49歳ですけど、あのアホみたいな楽しさをいまだに超えられていない。で、その12歳を超えるために東川へ来ました」

今、萬田さんは4WD車に釣り道具を積みっぱなしにし、隙あらば川へと走る。
大雪山系を源流とする忠別川は、眺望の開けた一級河川。彼はフライ・フィッシング専門だ。昆虫を模した毛針(フライ)で釣り上げる、イギリス発祥の紳士的なスポーツ。
だが萬田さんのそれは、多分に哲学的だ。
淡水魚への深い敬意とそれを釣る矛盾、キャッチ&リリースへの罪悪感を抱えたままの、釣り。
「魚にしてみれば、好物の餌を食べて、おいしい!と思ったら口の中に針がかかる。幸せな瞬間に最悪な事態が起きる。そんな残酷なことを、喜んでやってるわけです」
とはいえやめられないに決まっている自分を、どう肯定していくか?
その答えが、キャッチ&イート(釣って食べること)だった。
「キャッチ&リリースは娯楽ですが、キャッチ&イートは狩り。せめて、ありがたく食べることで自分の業(ごう)を減らしたい。また魚を釣る人が、生業(なりわい)として料理をしたらどうなる?っていう実験でもあります」


消費でなく、自分でつくる暮らし方

地方への憧れを抱いたのは、長年続けた雑誌『 イタリア好き 』(ピー・エス・エス・ジー)の出張で、現地のリストランテから家庭料理を訪ねて回った経験から。
「イタリアの人たちは、たとえお金がなくても楽しそうなわけです。食いしん坊な彼らは、地元にある食材を工夫して、すごくおいしい料理にしてしまう。逆になんでも揃う東京では、他人(ひと)がつくったものを買うこと、つまり消費が多くなりますよね」
いつからか、自分も「消費」のシステムに組み込まれているように思えた。たくさんの同業者がいて、依頼をもらって撮影し、その成果物もわずかな期間で書店から消える。自分は消費する側でもあり、される側でもある。
そう考えると、消費を繰り返した先に何があるのか、見えなくなった。
「イタリア人みたいに生きられたら」
消費と創造、どちらか一つでなく両輪で。
そんな折だ。釣り仲間であり、東川に工房を構える家具デザイナー・建築家の清水徹さんに「いい川があるよ」と誘われたのは。
「行ってみたら、6月の北海道はすごい気持ちよくって。気候も植物も、すこし乾燥した空気も日本じゃない。ここは日本語の通じる外国だ、と思いました」

2024年の晩秋、東川町の『東カワウソ』を訪れた。
カウンターとテーブルの8席は満席の2回転。黙々とパスタを打ち、ゆで、手早くラグーを盛る萬田さんはもう、れっきとした料理人だ。
「いやいやいや、料理人に申し訳ないので“見習い”くらいにしてください」
しかしである。
朝はシナモンロールを焼きカプチーノを淹れ、昼は7〜8種類のパスタをつくり、夜はイタリアつまみとワインの居酒屋をこなすのだ。シナモンロールはガリッと焼ききった皮の食感、シナモンに加えてカルダモンの香りも。いかにもおいしそうなこの渦巻きペストリーは、SNSで人気を呼んだ。
『東カワウソ』は不定期営業にもかかわらず、少し離れた旭川からもお客が訪れる。一方で、近所の生産者が作業着でふらりと来てくれたり、ジェラートを楽しみにしているおばあちゃんがいたり。

萬田さんは男性だが、料理から逆回転に想像すると、イタリアのマンマしか浮かばない。飾り気のない皿も、じんわりと落ち着く味わいも、食べる人を緊張させない気配も。
「『イタリア好き』の撮影で怒濤の食べ歩きが続いても、マンマの家庭料理だけはどんどん食べたくなった。僕も、目指すのはそこです」
とはいえ「店」は家の外。であるからには、家庭ではできない家庭料理をつくる使命がある。

たとえばイタリアの家に必ずある、卵とチーズとパスタでできる料理、通称「貧乏人のパスタ」。現地では目玉焼きをのせるが、『東カワウソ』ではふわふわのオムレツだ。
ゆでたパスタにバターを絡め、ふんわりまとめたオムレツ、その上にすりおろしたパルミジャーノ・レッジャーノが雪のように降り積もる。材料も技術も家庭とは一線を画するうえ、どうしようもなくイタリアっぽいのは、卵をフォークでまだらに混ぜるといった土着のディテールを、つくる人がわかっているからだ。
オムレツを崩しながらスパゲッティに絡めて頬張れば、卵の香りとバターの香り、小麦の旨味。そこはかとない優しさに、しかしなぜか卵かけごはんを思い出した。
卵はご近所、『 ファーム・レラ 』の「大雪なたまご」。大雪山系の水と、素性のわかる餌を食べ、平飼いで育つ鶏から採れる。東川の水のように、すうっと素直な味わいの卵だ。


  • 食材の調達は、できるだけDIY
  • 食材の調達は、できるだけDIY
  • 食材の調達は、できるだけDIY
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  • 食材の調達は、できるだけDIY

食材の調達は、できるだけDIY

野菜や家畜は育てられないが、可能な限り自分で足を運び、食材を調達する。それが萬田さんの言うDIY。
その筆頭に、もちろん釣りがある。
この日、釣果のニジマスは「試作」として、北イタリアのトルテッリーニというラビオリになった。マスは北の地方でよく食べられるからだ。
そこでニジマスをじゃがいもやチーズと合わせてピュレにし、パスタ生地で包む。ソースは庭のセージとバターだけ。皮をカリカリに揚げて添え、命をあますところなく享受しようとする一皿である。
彼いわく「川魚の味は、棲息する川の水の味」。釣ったその日に塩をして寝かせ、後に水分を抜くと、魚の身に旨味が残る。雪解け水の川に棲むニジマスならなおさら、綺麗な旨味の塊になる。

ジビエでいえば、町内のカフェ『 ハルキッチン 』の店主、岩淵亜夕子さんが猟師でもある。
彼女が獲った蝦夷鹿でつくるラグーは、卵たっぷりの手打ちパスタ、タリアテッレと相性がいい。トマトベースのラグーには、崩した蝦夷鹿のサルシッチャがごろんごろん。粗挽き肉をガシガシ噛んで滲み出る旨味が、ワインを求めて仕方ない。

これら個人のつくり手に加えて、萬田さんを感動させたのが、地元のスーパー『 ホクレンショップひがしかわ店 』である。
「たとえば“豚肩ロースの塊を1キロ”と注文すると、専門店と同じように綺麗にカットしてくれます。魚はカジカ、ホッケの生、カスベといった本州ではあまり見ない、道産の魚介も手に入る。野菜は農家の産直コーナーもあって、どれも質がいいし値段も手頃」
地元の人が言う「普通」の、普通じゃなさに気づけるのは移住者の特技だ。東川は、スーパーとつくり手の両方から食材をDIYできる、「気持ちのいいバランス」ができる土地だった。

萬田さんはおそらく今日も、太陽を見て風を読み、釣りに出かける。縁のある生産者と馴染みのスーパーを回り、庭のさくらんぼの様子を気にかけ、メニューを考える。
あるいは東京で写真の仕事をし、行きつけの大衆食堂でビールを飲みながら、そろそろ川に行きたいとうずうずしているだろうか。
違う色の空の下、2つの仕事と暮らしがある人生は、どんな感じだろう。

  • 東カワウソのパスタ
  • 東カワウソのパスタ
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  • 東カワウソのパスタ
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  • 東カワウソのパスタ
  • 東カワウソのパスタ
  • 東カワウソのパスタ
東カワウソ
東カワウソ

2024年6月21日オープンのパスタ食堂。朝はシナモンロール、昼はパスタ、夜はワインとイタリアつまみ。生鮮食品は極力地元でDIY、菓子やパスタの粉、ワインはイタリアと東川町の『キトウシ 』『 雪川醸造 』、乾麺などはイタリア産。素敵な建物は、『 monokraft 』清水徹さんによる設計。

北海道上川郡東川町東9号北1番地
TEL|なし
営業時間|朝(自家製シナモンロール)7:00〜9:00、昼(パスタ)11:30〜15:00、夜(居酒屋/土日のみ)18:00〜20:00(変動あり)
定休日|不定休
※予約は Instagram のDMかコメント欄より。営業時間・休業日も随時ご確認を。

NEXT CHAPTER

「僕らの新しいローカリズム」北海道の東川・美瑛編は全6回。
第4回は、フランスで12年間、農業と植物療法を学んだ石田佳奈子さんによる『Lienfarm(リアンファーム)』。
人里離れた丘の上でオーガニック・ハーブを育て、フランスの伝統的製法によるハーブティーや精油などをつくっています。

次回は、2025年4月13日―毎月、満月の日に新たな記事を更新

CHAPTER 19 coming soon

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