僕らの新しいローカリズム

僕らの新しいローカリズム
地方が動き始めている。
都市では「食材」や「原材料」と呼ばれるものが
田畑で実り、山に生え、風土の中で生きている場所は、
食べものづくりの人々にとって、刺激に満ちた“現場”なのだ。
ローカルという現場に立つ彼らは今、都市ともゆるくつながりながら
暮らしを映す食や酒、共感で結ばれたコミュニティを生んでいる。
新連載「僕らの新しいローカリズム」、スタートは北海道・函館編から。
石畳の坂道に洋館が建ち並ぶ港町風情と、雄大な自然が静かに溶け合う
この地に惹かれたつくり手たちを、全9回にわたってお伝えします。
写真/伊藤徹也 文/井川直子
CHAPTER 03
『もりかげ商店』
「いい循環」と「動き」のある街
民家の2階、ゆったりとした台所の窓から、海の気配をふくんだ風が流れた。
ここが新しい『
もりかげ商店
』の工房。森影里美さんが焼いたお菓子は、函館の透明な光の中で輝くようだ。
棚に並んだガラス瓶には、天日乾燥させた桑の葉やヨモギ、セミドライにした夏のトマト。野草や野菜といった、およそお菓子のイメージから遠い素材である。
『もりかげ商店』はもともと、東京・目黒にあった。
不思議とお酒に合う粗塩のかりんとうや、きなこクリームのレーズンサンド。クッキー、タルトといった素朴な焼き菓子をひとりで作り、ウェブ通販と、ときどきリアル店舗もオープンする。どちらもインスタグラムで告知すると、早々に売り切れてしまうファントム(幻)な店。
ところが2022年4月上旬に移転の告知がされると、下旬にはもう、森影さんは函館で暮らしていた。夫でデザイナーの
菅渉宇
(すが・しょう)さんと二人で移住したのだ。
急すぎる展開。
何しろ初めて函館を訪れたのがわずか5カ月前。北海道・余市への旅のついでに、友人がもうすぐ農業を始めるという函館にも足を伸ばしただけ、だったのに。
「行ってみたら、食のつくり手も、飲食店や酒屋といった伝え手もすごく魅力的だったんです。それぞれに活動しながら、共通する価値観でつながり、いい循環ができている。私たちもその循環の一つになれたら楽しいだろうな、とわくわくしてしまった」
街が動いている。今この時を掴むように、夫妻はえいや!と飛び込んだ。
この時季、ここにあるもので作りたい
それから1年4カ月。
2023年の夏に自宅兼工房を訪れると、庭には「実験中」のスペルト小麦(古代小麦)や、ワイン用ブドウのピノ・ノワールが植えられていた。
今日はこれから、七飯町(ななえちょう)へ湧き水を汲みに行くのだそうだ。
「函館は、普通が豊かです」
森影さんは目黒時代から自然な素材を使っていたが、函館ではそれらがより身近にある。
小麦粉、ライ麦粉などは北海道内。近隣では「卵愛」にあふれたお母さんが鶏を平飼いで育てる七飯町『ついき農園』の産みたて卵が買え、ときには厚沢部町の農園から、敷地内を自由に歩き回る鶏の卵を分けてもらうこともある。
「味がしっかりしていて、すごくおいしい。本当に自由に、のびのびしているんだろうなと思う味」
産地という現場に立ったつくり手に、変化が起きないわけはない。
「以前は自分の作りたいものがまずあって、材料を選んでいました。でも今は、この時季、ここにあるもので作りたい。素材と出合ってから、何ができるかな?と考えます」
北斗市のワイナリー『
農楽蔵(のらくら)
』のブドウの搾りかすは、乾燥させてお菓子に、甘く煮てソースに。八雲町『
八雲山水自然農園
』の野菜は蒸しパンやケークサレ、北斗市『
ヒュッゲファーム
』のハーブはクッキー、『
函館ひろめ堂
』の真昆布はかりんとうになった。
若い夫婦が開墾から始めた 『nonomama』
野草、山菜、野菜、ハーブの多くは北斗市の生産者、『
nonomama(ノノママ)
』から。
森影さんは夫婦揃って畑の開墾から手伝っている。旬の短い作物は収穫時に合わせて動けるよう、本業の予定をぎちぎちに入れないほどだ。
すると今度は「産地」よりさらに現場、「畑の中」からの視点が生まれる。
間引きや未成果の野菜、熟し切った実。一つの野菜にも成長過程のグラデーションがあり、段階ごとに「こんなおいしさがある」と気づいたり、「こう使ったらおもしろそう」と想像を膨らませたり。
この『nonomama』こそ、森影さんを函館へと導いた友人夫妻だ。
飯田強司(つよし)さんと琴さんは、ともに洞爺(とうや)にある農場で農業を学び、年に北斗市文月・向野地区で新規就農した。
彼らがこの土地を見つけたとき、30年以上もの耕作放棄地は雑草や笹がボーボーだった。山から吹き下ろす風も強く、誰もが「タダでもいらない」と断った土地。
だが強司さんは「畑になる」と直感したという。
30年以上使われていない土壌なら、転換期間(2~3年)の必要もなく、スタートから無農薬、無化学肥料での農業ができる。
『農楽蔵』の佐々木賢さんが「土地本来の味を出しやすいよね」と言ってくれて気づいたんです。「まっさらな状態だからこそ、この土地のありのままの味わいを出せるんだ、って」
必要な土づくりはしてもコントロールは極力しない、より自然に近い、彼らの言葉で言えば「土地に寄り添いながら育てる」農業。だから農園の名は『nonomama』=野のままだ。
土地に立つ自分たちがまず、気持ちいい
敷地は約1.5haの畑に加え、約1.2haの山地も有する。
飯田夫妻は北海道開拓民のように、くる日もくる日も草を刈り、笹を抜き、石を避けて土地を開墾。日陰が好きな野菜のために大きな木を残し、桑、楡(にれ)、白樺、アカシア、楓、もみじといった野山の景観も守った。
その甲斐あって、春になれば山菜が自生し、山を流れる文月川では岩魚やヤマメが釣れる。二人の畑は今年、2023年の春から栽培が始まったばかりだ。
晩夏の畑では、加熱するとトロトロになるという真黒(シンクロ)ナスが艶やかに実っていた。ほかにも、ししとう、紐唐辛子、赤紫蘇、三重ピーマン、黒ピーマン、ズッキーニ、四葉(スーヨー)胡瓜。
種の自家採取などによる固定種(何世代にもわたり種の選抜を繰り返すことで、自然と形質が定められたもの)や、在来種(昔から特定の地域で栽培されている品種)ばかりだ。
森影さんは固定種のミニトマトを手に「セミドライにして、ケークサレにしようかな」と呟いた。いつも畑の植物でお菓子を作り、畑に持ってきてはみんなでおやつタイム。琴さんはそれを「植物の里帰り」と言う。
「この場所を見つけたとき、人が集まる場所になると感じました。まずはこの土地に立つ自分たちが気持ちいい。〝自分のままでいんだな〟と思えるんです。いつかここを訪れる人たちも、きっとそう感じてくれるはず」
暮らしとものづくりの間に壁がない
外から来た人、一度外に出た人だから見える土地のよさがある。
函館の人は「なんもないっしょ」というけれど、森影さんは移住から1年を経てもわくわくが止まっていない。
畑仕事だけでなく、秋は茸採り、冬は雪景色、春には山菜採り。温泉には年がら年じゅうすぐ行ける。
「その中でおもしろいと思ったことを、自分のフィルターを通して表現できればいいなと。暮らしとものづくりとの間に壁がないんです」
函館へ来て、森影さんのものづくりは、いつの間にかお菓子という枠組み収まらなくなっていた。
食事と一緒にテーブルに載るような、たとえば七飯町『
山田農場チーズ工房
』の山羊チーズ「ガロ」に合わせたクラッカー、函館『
cafe water
』で選ばれるワインのつまみになる蒸しパン。
それらは、函館の多様なつくり手や伝え手と交流するなかで拓かれた、彼女の新しい場所。
お菓子から食へ、さらに食のまわりへ。同心円を描くように、その場所はどんどん広がっている。
NEXT CHAPTER
新連載「僕らの新しいローカリズム」、スタートは北海道・函館編から。
石畳の坂道に洋館が建ち並ぶ港町風情と、雄大な自然が静かに溶け合うこの地に惹かれたつくり手たちを、全9回にわたってお伝えします。
次回は、1月26日
ー毎月、満月の日に新たな記事を更新
CHAPTER 04 『コルツ』 comming soon