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recipe僕らの新しいローカリズム

料理人の感動を、更新しつづける

2024.03.25

僕らの新しいローカリズム

地方が動き始めている。
都市では「食材」や「原材料」と呼ばれるものが
田畑で実り、山に生え、風土の中で生きている場所は、
食べものづくりの人々にとって、刺激に満ちた“現場”なのだ。
ローカルという現場に立つ彼らは今、都市ともゆるくつながりながら
暮らしを映す食や酒、共感で結ばれたコミュニティを生んでいる。
新連載「僕らの新しいローカリズム」、スタートは北海道・函館編から。
石畳の坂道に洋館が建ち並ぶ港町風情と、雄大な自然が静かに溶け合う
この地に惹かれたつくり手たちを、全9回にわたってお伝えします。

写真/伊藤徹也 文/井川直子

 

  • 清和の丘農園
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CHAPTER 06 
『清和の丘農園』

4日経っても水が滴る野菜

前回の『 コルツ 』後編でも最多登場の『清和の丘農園』は、農薬や化学肥料を使わずにハーブや野菜、米を育てる、山本信頼(のぶより)さんと橋本哉子(かなこ)さんの ユニットだ。
彼らと佐藤雄也シェフとのはじまりは、『コルツ』開業の2003年頃までに遡る。

「当時『コルツ』はまだ小さな店で、野菜をきちんと保存できる設備もなく、カウンターにそのまま置いていたんです。けど、そんな放りっぱなしの野菜でも、切ると4日経っても断面から水が滴ってくる。その生命力に感動しました」
以来20年。料理人の感動を、更新しつづけているつくり手である。

かつて北海道大学で自然薯の研究をしていた山本さんは、夏休みにじゃがいも畑でアルバイトをしたことが、農家になるきっかけだった。
「ひたすら掘って、毎日汗だくになって。すごい大変なんだけど、なんか楽しかった」

農業を生業にしようか、でも、農業でやっていけるか? するとほどなく、厚沢部町(あっさぶちょう)にある清和小学校の閉校が決まり、教員住宅が貸し出されることになった。
「家賃5,390円。だったら妻と2人、なんとか生きていけるだろうと考えたんですね」

 


日々、無限の選択肢がある中から

山本さん夫妻は就農当初、化学肥料も農薬も適宜使用する、日本では一般的な慣行農法の農家で働いていた。
だが妻が体を壊してしまったことを機に、独立を決める。農薬や化学肥料を使わない、野菜にも土地にも人にも、健全な栽培方法へ転換するためだ。

この頃、山本夫妻の元へ遊びに来ていたのが橋本さんだ。妻と高校時代の同級生だった彼女は、千葉大学園芸学部出身。
ともに畑仕事をするようになり、ついには移住した。

2002年、この3人で立ち上げたのが『清和の丘農園』。
とはいえ無農薬での栽培法を教わったこともなければ経験もなく、相談できる先輩もいない。そのうえ地元出身ではない彼らが借りられたのは、耕作放棄地になる寸前の田んぼや、栽培には不向きな畑ばかりだった。

この恵まれぬ土地で何ができるのか。
田に水を張るタイミングや量は?
どういう堆肥をどれだけ入れるか、入れないか。
除草剤を使わずに雑草を取る方法は?
課題は日々刻々と突きつけられ、選択肢は無限だ。考えて選び、失敗して、それを糧にあの手この手をひねり出す。
『清和の丘農園』の農業は、そうして実践から紐解いていったオリジナルである。

だが、この歩み方は彼らの波長と合っていたようだ。
山本さんは、「難しいことほど燃えるタイプ」。橋本さんはここ厚沢部で、「農業と、生きることが並行している感覚」を実感していた。

 

厳しい環境で育った人間が強いように

現在、田んぼと畑は各1.5ヘクタールずつ。主に山本さんが稲作を、橋本さんは野菜やハーブを担当し、たった二人で朝5時から晩の19時頃まで働いている。

山本さんに稲作の田んぼを案内してもらうと、日本海から流れ来る厚沢部川に沿って広がる水田に、せせらぎの音と、風が走り抜けていた。
盆地のため、水はけと水持ちのバランスはいいが、冬はマイナス25度前後まで冷え込むという。信じられない。取材時は35度の酷暑だったのだ(2023年夏)。
つまり夏と冬とで60度もの激しい寒暖差が生じる田んぼで、彼は稲に、最小限の肥料しか与えていない。

「厳しい環境で育った人間が強くなるように」
山本さんの米は、濃密な味と食感を持っている。「ふっくりんこ」というほっこりした品種名とは裏腹に、アスリートのような強さを持つ米だ。
だから、佐藤シェフいわく「何を作っても、どうしたっておいしくなる」。『コルツ』のメニューに登場する時もあるし、まかないにも、シェフの日常にも欠かせない。

 

料理人と生産者はワンチーム

少量多品種の野菜とハーブは、橋本さん。
「佐藤さんと話をしながら、リクエストがあれば種を探して挑戦します。これまでも、ルタバガ(西洋蕪の一種だがアブラナ属の根菜)、ストリドーロ(ほんのりと苦味のあるイタリアの伝統野菜)、コールラビ(ブロッコリーの芯を球形にしたような西洋野菜)……いろいろ。彼だけのオーダーメイドは多いですよ」

佐藤シェフが「やさしさの中にも、芯の強さを感じる」と言う彼女の作物は、もはや『コルツ』の料理の中核を担っている。

たとえばケッカソースは、鮮烈な香りを放つトマト、グリーンゼブラがあればこその一品。
松皮鰈(まつかわがれい)のタルタルには、オクラとその花。
花は2、3時間でしぼんでしまうため、朝摘みをすぐに届ける。ズッキーニの花はさらにオシベとメシベを取り、花の中にスポンジを入れてやる。その仕事が、橋本さんの場合はひときわ丁寧なのだという。

料理人のためのひと手間ですね、と訊ねると、彼女は「手間」ではなく「張り合い」だと答えた。
「佐藤さんが喜ぶだろうから、こうしてみよう。きっと待ってるから、早く畑の雑草を取って収穫しよう。そう思うことは、私にとってはうれしいことです」

毎年冬になると、『コルツ』と『清和の丘農園』の面々は、鍋を囲みながら作戦会議をするという。
「来年は何を作ろう?」
雪が降り、今年の農作業がひと段落して、来年の畑とテーブルを思い描く時間。料理人と生産者が、ここではワンチームである。

道南のインディペンデントな循環が始まる

無農薬栽培の野菜というと、都市ではまだまだオーガニック専門店や高級スーパーで買う、ちょっと特別なものである。だが『清和の丘農園』では、特別にしない方法を考えたい。
そこで、肥料を使う場合は『 あかり農場 』の豚の堆肥(畑の有機肥料)をもらったり、自分たちで育てる鶏の糞、米ぬか、豆くずを混ぜた自家肥料などでまかなう。 ホームページはもとよりネットショップもSNSも持たず、商圏は自分たちの手に負える範囲に留める。多くは函館市内に、朝採りを直接届けている。

仕入れ値を抑えられれば、レストランでも料理の価格が抑えられ、より地元の人に食べてもらえる好循環だ。

道南は、北海道の中にあって自治州のような雰囲気がある、と山本さんは言う。
「半島ですから、地形的にも独立していて、独特の文化圏がつくられたんでしょうね」

『清和の丘農園』は2002年、『コルツ』は2003年の開業。山本さん、橋本さん、 佐藤さんはそれぞれ1974、1973、1972年生まれである。
函館の飲食を引っ張っているつくり手たちも、1970年代生まれ、2000年初頭の 開業組が主軸。 「よーい、ドン」で駆け出した彼らは、それぞれのレーンを走りながらともに成長することで、インディペンデントな「自治」を始めているのかもしれない。

 
  • 清和の丘農園
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清和の丘農園
清和の丘農園
米は一般販売、野菜は主に飲食店向けだが、函館『 atelier pomme de terre(アトリエ・ポム・ドゥ・テール) 』で購入可。ほかに期間限定、イベントなどでも販売の場合あり。
北海道檜山郡厚沢部町
問い合わせ|chiyonori6@gmail.com

NEXT CHAPTER

新連載「僕らの新しいローカリズム」、スタートは北海道・函館編から。
石畳の坂道に洋館が建ち並ぶ港町風情と、雄大な自然が静かに溶け合うこの地に惹かれたつくり手たちを、全9回にわたってお伝えします。

次回は、4月24日ー 毎月、満月の日に新たな記事を更新
CHAPTER 07 『山田農場 チーズ工房』 comming soon

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