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recipe僕らの新しいローカリズム

“おいしいパン”じゃなくていい

2024.05.23
おおば製パン

僕らの新しいローカリズム

地方が動き始めている。
都市では「食材」や「原材料」と呼ばれるものが
田畑で実り、山に生え、風土の中で生きている場所は、
食べものづくりの人々にとって、刺激に満ちた“現場”なのだ。
ローカルという現場に立つ彼らは今、都市ともゆるくつながりながら
暮らしを映す食や酒、共感で結ばれたコミュニティを生んでいる。
新連載「僕らの新しいローカリズム」、スタートは北海道・函館編から。
石畳の坂道に洋館が建ち並ぶ港町風情と、雄大な自然が静かに溶け合う
この地に惹かれたつくり手たちを、全9回にわたってお伝えします。

写真/伊藤徹也 文/井川直子

 

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CHAPTER 08 
『おおば製パン』

車から降りた途端、空気が違った

函館から車を走らせること40分。大沼国定公園の大きな湖、点在する小さな沼、その周りに茂る清々しい森を越えたあたりで『おおば製パン』が現れるはず。
見逃さないよう窓を開けて見ていたら、煙突から流れる煙が「ここだよ」と教えてくれた。素敵な看板は控えめな存在感で、店主である大場隆裕さんの佇まいを映すようだ。

薪窯で、天然酵母のパンを焼くために見つけた土地。
「自然がいっぱいで、大きな薪窯を置ける広さの建物で、煙が出ても迷惑をかけない場所」という条件がすべて揃った。

「ここは車から降りた途端、空気が違ったんです。清浄、というか」
“森町”の名の通り、周りは栗や白樺の美しい森。澄んだ空気を証明するように、真正面に見える駒ケ岳の稜線はくっきりと浮かび上がっている。
ぽつんと建つ一軒家は、「お隣さん」までとの距離も数百メートルだった。

まるで大場さんを待っていたかのようなこの場所を、ひと目で気に入ってしまったのは家族も同じだ。
最初は単身赴任の予定が、妻の久絵さん、3人の子どもたちも全員で移住することになり、2016年4月に『おおば製パン』を開業した。
「住んでみたら朝はすごく気持ちがいいですし、夕焼けも、夜の星空も綺麗。想像以上にいいところでした」

大場さんがパンを焼いている間、久絵さんが大粒のブルーベリーを「どうぞ」と持ってきてくれた。夏の1週間ほどと旬の短い果実だが、近くの森では今が盛りなのだという。
「野生のブルーベリー、朝に摘んだばかりなのでおいしいですよ。お店ではタルトに使います」

森や沢では、春に山菜、秋にはきのこが採れるし、近所には種取りをしてつないできた在来種の野菜や、西洋野菜を育てる『 政田農園 』がある。
さらに、この辺りでは自家畑が標準装備。大場家でも家族が食べる野菜やハーブを育てているけれど、周りの人たちも「たくさん穫れたから食べて」といろいろ持ってきてくれるから、日々の食卓は賑やかだ。
「お豆腐以外ならなんでも揃うんですよ」
久絵さんはそう言って、庭で農薬を使わずに育てたという、ホーリーバジルの冷たいお茶を注いでくれた。


自然な酵母の力で発酵させるパン

大場さんはたったひとりで、朝4時から作業を始め、11時から全種類を一気に焼き始める。
店内へ香ばしい熱が流れ込むと、いよいよクライマックス。
有機小麦80%とライ麦20%の大きなパン・ド・カンパーニュをはじめ、小麦100%のブロン、水分量が多くもちっとした食感のリュスティック、ライ麦全粒粉のパン、スペルト小麦全粒粉のパンらが続々と薪窯から出され、12時の開店に合わせて顔を並べる。

メインはガリッと焼き上げた、硬い皮を持つハードパンだ。それらに加えて、クロワッサンやブリオッシュ、食パン、季節のパイやタルト、冬にはフランス伝統のクリスマス菓子・クグロフも登場する。

生地の材料はシンプルで、道産の粉、八雲町・熊石産の塩、森町の水のみ。
『おおば製パン』ではすべてに既成のイーストを使わず、ルヴァンと呼ばれる発酵種を作り、自然な酵母の力によって発酵させている。空気中の野生酵母も作用するから、「清浄な空気」は大事な一つだったのだ。

この製法を知ったきっかけは、広島のブーランジェリー『 ドリアン 』だった。
函館の店でフランスの菓子とパンを作っていた大場さんは、ある日雑誌で知った『ドリアン』の、未知なる作り方と考え方に驚いた。
「早速取り寄せて食べてみると、こんなパンがあるのか!とさらに衝撃的で。勤め先にお願いして、1カ月だけ『ドリアン』で研修させてもらいました」

ルヴァンとは、粉と水を混ぜて寝かせたものを発酵種とする古い製法である。
うなぎのたれのごとく、元の発酵種に新たな粉と水を継ぎ足すことで、乳酸菌と酵母菌を育てる。この乳酸菌がグルテンを分解して旨味を醸し、フレッシュな酸味が特徴的なパンになる。
先に「硬い皮」と書いたけれど、そのおかげで中の生地はしっとりとした食感が守られ、日持ちがする。

『おおば製パン』のハードパンは、焼き立てよりむしろ、日が経つにつれて落ち着いてゆく味わいを楽しみたい。
昨日より今日、しみじみと。季節のジャムや、少し焼いてオリーブオイルもいい。料理と合わせれば相手を立てる、やはり「控えめな存在感」。それはごはんとも似ているな、と思った。

「“おいしいパン”じゃなくていいんです。つくりたいのは、ひと口でおいしい!と感じるグルメ的なものではなく、原点のようなパン。でも本当はこういうのがパンじゃないのかな?という思いが、食べてくれた人になんとなくわかってもらえるパンにしたい」

自然界の乳酸菌や酵母、といえばCHAPTER 07『 山田農場 チーズ工房 』やCHAPTER 01『 農楽蔵 』の考え方ともつながっている。
彼らのチーズとワインに『おおば製パン』のパンを合わせれば、当然のごとく何かがすうっと腑に落ちる。
環(わ)の味、という言葉がふと浮かんだ。

思いが噛み合い、わかり合える人の輪が広がってゆく

では、大場さんの言う「本当」のパンとはなんだろう?
パンは海外の食文化だけに、日本では長らく、「本当」とは「本場そのもの」の意味だった。けれど1974年生まれの彼が語る「本当」は、「原点」「自然」「本質」といった意味合いで使われる。

後者の「本当」を求める考え方は、東日本大震災で一気に表出したのではないか、と大場さんはつけ加えた。
「僕より若い世代はさらにシビアに、地球の将来や人間が生きていくために何が必要かを考えていると思う。
たとえば『 nonomama(ノノママ) 』の飯田強司(つよし)さんや琴さん。僕はすごいなって見ています。これまで地球のことを悪くしてきた大人たちには頼れないから、自分たちでなんとかしなくちゃいけないっていう、切迫感とか危機感を持って農業をしているような」

シビアだが、彼らは同時に軽やかでもある。
異業種から農業へひょいと飛び込んでしまう行動力、「万人に広く」より「同じ感覚を持っている人に深く」を選ぶ潔さ、周波数の合う人や場を感覚的にキャッチするセンス。
「彼らにしてみればきっと、“身近にいいものがあるのに、なぜそれを使わないの?”といった素朴な疑問なんでしょうね。僕が思いもよらなかったことに気づかせてくれる、若い世代から学ぶことは多いです」

「周波数の合う人や場」として象徴的なのが、函館で2016年に始まり、23年で第3回を数えたワインと食のイベント『 のまサルーテ! 』。
道南だけでなく、東京をはじめ他地域からも農産物の生産者、ワイナリー、酒店、インポーター、料理店、食材店、ブーランジェリーなどが集結する。

彼らをつなげる1本の糸は、ナチュラルワインの思想。つまり大場さんの志す「原点」「自然」「本質」と同じスピリットである。
『おおば製パン』は昨年、このイベントの第3回に初参加した。

「『のまサルーテ!』はお祭りですね。出店されている方たちが、まず楽しんでます。僕は賑やかな場所が苦手ではありますが、でもこのイベントの雰囲気はすごく居心地がよくて、刺激にもなりました」

普段は一人ひとり、それぞれのプロダクトと向き合っているつくり手たち。レストランを媒介に、彼らの物語を伝える料理人やソムリエ。それらを愛する、私たち食べ手や飲み手。
立場は違っても思いが噛み合い、わかり合える人々に交歓がもたらされる瞬間。
それはなんと幸福な光景だろうと思う。


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おおば製パン
おおば製パン
薪窯で焼く、自家製酵母パンと焼き菓子の店。大場隆裕さんは、函館『 ペシェ・ミニヨン 』で18年、お菓子とパンを焼く。広島の『ドリアン』でも研修。インスタグラムにて、不定期にパンセットの販売・地方発送あり。
北海道茅部郡森町字赤井川412-132
TEL|01374-7-1120
営業時間|12:00-16:00(平日は要予約)
定休日|月・火・水(木曜不定休)
※冬季は変則営業のため、電話で要確認。

NEXT CHAPTER

新連載「僕らの新しいローカリズム」、スタートは北海道・函館編から。
石畳の坂道に洋館が建ち並ぶ港町風情と、雄大な自然が静かに溶け合うこの地に惹かれたつくり手たちを、全9回にわたってお伝えします。

次回は、6月22日ー 毎月、満月の日に新たな記事を更新
CHAPTER 09 『あかり農場』 comming soon

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