僕らの新しいローカリズム

僕らの新しいローカリズム|岐阜 郡上
森林大国・岐阜県のなかでも、土地の9割が深い森に覆われた郡上市。
長良川をはじめとした3つの河川では
鮎が泳ぎ、鳥は休み、釣り人や遊ぶ子どもが清流を分け合う。
山の谷間に生まれた城下町では
身分など関係なくともに踊る「郡上おどり」が400年以上続き、
仲間で助け合う「頼母子(たのもし)」の風習は、飲み会となって今も現役。
やさしい土地では、誰もがやさしくつながっている。
文/井川直子 写真/伊藤徹也
CHAPTER 28『アルケミエ 辰巳蒸留所』
毎年、決まって10月上旬に咲く金木犀
2025年10月、金木犀(きんもくせい)の花が咲く時季を狙って『
アルケミエ 辰巳蒸留所
』を訪れた。岐阜・郡上八幡でクラフトジンとアブサンを造る、辰巳祥平さんの蒸留所だ。
彼はさまざまなボタニカルを取り入れる。カモミール、ラベンダー、茶葉からジビエ(鹿肉)まで、昨年1年間ではじつに99種類。しかも季節の流れは日々、一進一退。旬の香を追いかければ、一年中大忙しだ。
金木犀は郡上八幡で、毎年10月上旬から1週間だけ咲く花。ここ3年ほどは秋の気温が高く遅れ気味だったが、さて今年はどうか?
じりじりして待っていた10月初め、「今年は元に戻ったみたいです」と辰巳さんから連絡があったのだった。
元機械部品の工場を改装した蒸留所に着くと、小雨の薄い日差しの中、そこだけ光を集めたように橙色の金木犀が輝いていた。
辰巳さんと助っ人隊が、民家の庭先や公共施設の植栽、道端で咲く花を、許可を得てやさしく手摘みしたものだ。
近づくとふうわり甘やかに香る、この小さな花々がこれからジンになる。
昔の人のほうが、いいお酒を飲んでいたかも?
蒸留所の奥には大きな銅製のポットスチルが構えていたけれど、こちらは輸出の蒸留酒用。「金木犀のジンはこっちです」と示された蒸留器は、小さな実験装置みたいだ。
「カブト釜って言います。日本に蒸留技術が伝播した江戸時代の蒸留器を、焼酎の修業先だった鹿児島の『
大石酒造
』が復元したもの」
ステンレスの蒸留釜、杉の甑(こしき。蒸し器)、てっぺんには逆円錐形の銅製皿、というパーツを組み上げただけの単純な構成。
この皿が兜の形に似ているから「カブト釜」。兜の中には、蒸留所からすぐの水源、犬啼谷(いんなきだに)の湧き水が流動している。
ベースのアルコール(辰巳さんの場合は焼酎)にジュニパーベリー、金木犀が入った蒸留釜を加熱すると、それぞれ特有の香りが気化。甑内で兜の表面に触れて冷やされ、液体となって、逆円錐の頂点から受け皿へと滴り落ちる仕組みである。
気化した香りがパーツの隙間から逃げぬよう、辰巳さんはタオルで塞ぐ。なんと人間臭い作業だろうと驚いたが、彼に言わせれば、このくらいの抜け感がちょうどいい。
完全密閉じゃないからこそ、蒸気がほどよく逃がされて、還元臭などの好まざる香りも自然と抜けていくからだ。
プリミティブな原理が「逃げ場」をつくり、複雑味と奥行きのある味わいをもたらすのである。
「昔の人のほうが、意外といいお酒を飲んでいたかもしれませんよね」
隣にはもう1基、背の高い蒸留器があった。
原型は「粒露(つぶろ)式」と呼ばれる、カブト釜が奄美大島で進化した日本独自の蒸留器。
「逆さの兜が、奄美大島でひっくり返って元の兜になったんです。ややこしいですけど」
ここにあるものは東京の『
深川蒸留所
』が、粒露式をステンレスと耐熱ガラスで再構築した「ニューツブロ」。なるほど、頭に銅製の帽子みたいなものを載せている。
カブト釜に比べて繊細で綺麗な酒質になるこちらは、彼の表現で言えば「植物の明瞭な香りを昇華」したい時に使うそうだ。
いずれの蒸留器にしても、「香りはいいけど、二日酔いのもとになる成分も含む」と、最初に出るアルコールはすっぱりカットする。彼のジンやアブサンが、抵抗なく体に馴染んでいく印象なのはそのせいだろうか。
蒸留で最も大事にしていることを、辰巳さんに訊ねた。
「ボタニカルを、ちゃんと液体にすることです」
短いけれど、抽出された一滴のように無限の要素が閉じ込められた言葉である。
蒸留酒の「源流」を知りたい
独特なのは、なにも蒸留器ばかりではない。
ベースのアルコールは不明な蒸留所も多いなか、辰巳さんはこれぞと決めた焼酎を使っているのである。
アブサンのベースは、『大石酒造』で造られた無濾過原酒の芋焼酎。芋の濃淳な甘味が、アブサンの余韻にふわりと舞い上がる。
一方、ジンのほうは福岡県の『
杜(もり)の蔵
』で造られる粕取(かすとり)焼酎。日本酒の酒粕を再発酵させて蒸留した焼酎が、吟醸香の華やかな香りを添える。
これに岐阜県『
中津川蒸留所
』のチコリの根を原料とした焼酎を合わせることで、芯のある酒質を生み出すという。
焼酎とのつき合いは、東京農業大学醸造学科の在学中に遡る。
鹿児島県出身の先輩が「さつま白波」をよく飲ませてくれた。日本酒やワインといった醸造酒も学んだけれど、心地よさを感じたのは蒸留酒の焼酎。
「鹿児島県での成人式終わりに、銘店『焼酎天国』で飲んだ『八幡(はちまん)』のお湯割に感銘を受けて、翌日から焼酎蔵を巡ったんです」
大学卒業の頃には焼酎の銘柄をほとんど飲み尽くし、数軒の蔵に住み込みで研修もしたことで、辰巳さんはさまざまな蔵の理念や技法を学んでいく。
だが知れば知るほど、満たされない問いが湧いてくるのだ。
「そもそも、焼酎のルーツってなんだろう?」
そこで卒業後、源流を確かめる旅に出るのである。
蒸留の技法は古代メソポタミアに始まり、西洋と東洋に伝播。東洋ではさらに東南アジアルート、中国北部〜朝鮮半島ルート、中国中部の福建省ルートなど3つの経路に分かれるという。
彼はカンボジア、ベトナムなど東南アジアから中国の蒸留所を4カ月かけて回り、下関港へ。そのまま、旅で知見を深めたカブト釜蒸留器を持つ『大石酒造』へ直行したのだった。
以来、『大石酒造』で季節労働をしながら、焼酎造りの閑散期には、世界の酒を巡る旅を続けた。
海外の人に焼酎を知ってもらいたい
「これからの焼酎業界、どうするよ?」
その課題は焼酎蔵で働く間、同世代の次期蔵元たちと飲む度に交わされた会話だ。消費量でいうと2007年をピークに、一時は日本酒を超えたほどの本格焼酎大ブームは下降線を辿っていたのである。
焼酎をなんとかしたい気持ちは彼らと同じ。
しかし辰巳さんは、どうにかできる立場の蔵元にはなれない。焼酎の酒造免許は「蔵(蒸留所)」に与えられ、新規での取得はほぼ不可能だからだ。
「焼酎では独立できない。じゃあ焼酎のために何ができる?と考えた時、焼酎以外の蒸留酒なら、酒造免許を取れる可能性がありました」
2008年以降、海外ではボタニカルな素材を使い、土地や造り手の個性を表現するクラフトジンの時代が始まっていた。その流れを現地で感じた辰巳さんは、ジンのベースに焼酎を、と考えたのだ。
そのジンが海外にも広まれば、焼酎の新たな活路を見出せる。世界で認められれば、日本に焼酎あり、と誇れる。
「海外のジンと明らかに違う味わいから、なんだろう?って感じ取ってくれる人たちが現れるはず。そこから焼酎への興味を持ってくれたらいいなと」
つまり彼のクラフトジンは、海外の人に焼酎を知ってもらうための「きっかけ」である。
8年間打ち込んできた酒造りの仕事に区切りをつけて、では、自分の蒸留所をどこで始めよう?
「あらゆる場所をイメージしました。地方でも都市でも、その土地に合った蒸留酒を創ればいい。でも自分の中で“ここだ”と思える何かが欲しかった」
その確信を求めて場所探しの旅に出た。
するとなぜか、誰かと会う度に「郡上八幡へ行ったほうがいい」と言う。訪れてみると、山頂にそびえ立つ郡上八幡城から眺めた町の全景が、フランス・ポンタルリエからアブサンの産地へと向かう岐路にある城塞を想起させた。
「この土地にはアブサンの産地としての説得力がある、と直感しました」
旅に出てから、わずか3日目のことだった。
2億5000万年前の地層、夏至、おおいぬ座
一度見たら忘れられない、一連の「手」をモチーフにしたラベル。郡上八幡が日本での発祥といわれるシルクスクリーンプリントで、一枚ずつ丁寧に手刷りされている。
このデザインからイラスト、印刷までを手掛けるのは地元在住のデザイナー、『
上村考版(かみむらこうはん)
』の上村大輔さんだ。
「辰巳くんは日々、世界各地のあらゆる文献を読んでいて、僕にもメモが大量に送られてくるんですよ。物理、地質、天体、歴史もあるし、もう大変(笑)。でも一つずつ教えてもらいながら、だんだん次元が上昇していく感覚がある。めちゃくちゃおもしろい仕事です」
たとえば犬啼谷の地層が、およそ2億5000万年前に形成された石灰岩(ライムストーン)と玄武岩であること。
オープン日は偶然にも夏至だったが、夏至とは「おおいぬ座で最も明るい恒星・シリウスが、太陽とほぼ同じく東の空に上がる、古代エジプトでは1年の始まりとされる日」であること。
そういったさまざまな意味を、上村さんはラベルに落とし込む。
膨大な知識から成る辰巳さんの世界観は、新しいハーブ倉庫や自宅を見せてもらった時、ぐっと腹に落ちた。
倉庫の建築は犬啼谷の縮図のようだ。重なり合う3枚の屋根は地層を表し、壁や窓には、地球を構成する植物や鉱石の元素の形が映されている。
古い木造の自宅には、「酒護神」とされる龍の木彫りが、神棚のように鎮座していた。彫刻家・
田代裕基(ひろき)
さんによるこの作品、片側から見た顔は生命力に満ちているが、もう片側から見ると亡骸に変わる。
生と死の狭間。
まさに蒸留所の立地もまた、生命を司る水の神が祀られた犬啼谷と、死の世界を思わせる地獄谷の狭間に位置している。
犬啼谷から東京へ戻り、すっかり冬の寒さになった頃、金木犀のジンが届いた。
開封すると、ぱあっと明るい香りが飛び散って、倉庫で輝く橙色の花が浮かんだ。そのまま飲めばフレッシュで可憐、炭酸水で割れば意外にも妖艶な表情を見せる。長い長い余韻に浸っていると不意に、金木犀は死んでも生きている、と思った。
生と死、陰と陽、天と地。
あらゆる境界のようなものを超えて森羅万象を内包する一滴、それが『辰巳蒸留所』の蒸留酒なのだろうか。

-
ARTISAN INFO
- アルケミエ 辰巳蒸留所
-
さまざまなボタニカルを使い、『杜の蔵』の粕取焼酎をベースにジンを、『大石酒造』の芋焼酎をベースにアブサンを蒸留する。アルケミエとは、ラテン語で「錬金術師たち」の意。スピリッツ(魂)の一滴は、栽培、醸造、蒸留、調合といった技術者の「錬金術」の賜物である。併設のプライベートバー『酒屋あぶしん』では、不定期にイベント営業を開催。蒸留所見学は不可、商品の購入は取扱酒販店で(問い合わせは各酒販店まで)。
NEXT CHAPTER
次回は、郡上市の六ノ里集落で活動する狩猟者、『Rism(アールイズム)』の松川哲也さん。『アルケミエ 辰巳蒸留所』の「鹿肉のジン」誕生の立役者でもあります。
元消防官にして元プロスノーボーダー、現在はジャーナリスト、バリスタでもある彼が提唱するRism=六ノ里主義とは?
故郷を守るための、マルチな行動をお伝えします。
次回の公開は、2026年3月3日ワームムーン。毎月、満月の日に新たな記事を更新します。
CHAPTER 29 comming soon『Rism』




































