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recipe僕らの新しいローカリズム

能登を選んでもらうために

2025.11.04
能登を選んでもらうために

僕らの新しいローカリズム|石川 能登

半島という地形は魅力的だ。独立しているようでいて地は続き、
吹き抜ける風が、海の向こうから運んで きた種を落とす。
日本海に最も突き出した半島、能登。
北前船や京文化が種を落としたこの土地では、今また新しい人、戻る人、迎える人がひとつになって食文化の芽を育てている。
山から海へと巡る食、蔵と田が醸す酒、昇華された工芸品。
「能登の自然は時に厳しいけれど、それを癒やしてくれるのもまた自然」
傷ついた人々にさえそう感じさせてしまう、能登とはどんなところだろう?

写真/伊藤徹也 文/井川直子

 

CHAPTER 26『数馬酒造』

  • 数馬酒造
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家業なら最速で社長になれる

「保育園の時代から、夢はずっと“社長”やったんです」
素直といおうか、そんな言葉をまっすぐに言う20代が、酒蔵の社長になったことから始まる物語である。
いい日本酒をつくるため、彼が目指したのは地域の宝を見直すこと、地球への負荷を減らすこと、働く環境を守ること。
SDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)が国連サミットで採択されたのは2015年。日本での意識が高まるのは2019年頃だが、その酒蔵、『 数馬(かずま)酒造 』は2014年からとっくに取り組んできた。
日本酒業界の慣習、世間の常道といったノイズにも、自身の感情にさえも囚われないフラットな視点が、能登で156年続く酒蔵に新風を吹き込んだ。その改革は型破りだが、シンプルだ。
すべての道が、「能登」というアイデンティティへとつながっているのだから。

能登半島の内海にあたり、湾の形をした宇出津港(うしつこう)。
穏やかな海と、瓦屋根が連綿と続くノスタルジックな港町で、『数馬酒造』は江戸時代から醤油蔵(能登半島地震以後は休業)を、明治2年(1869年)からは日本酒蔵を営んできた。
社長は5代目の数馬嘉一郎(かいちろう)さん、1986年生まれである。
もともとは自ら起業を目指し、能登を出て東京の大学に進学。卒業するとベンチャー企業でコンサルタントの職に就く。当時は20代そこそこでもあり、日本酒にはほとんど関心を持っていなかった。
だが目標の30歳起業まであと7年という時、父から「蔵の仕事を手伝うか?」と生まれて初めて訊かれて、はたと気がついたのだそうだ。
「家業なら最速で社長になれる」
帰郷したのは2010年、24歳。社長に就任したのはその5カ月後。
蓋を開ければ、酒販店にも「焼酎ブームで日本酒は売れん」と言われ、業績は悪化の一途を辿っていた。

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あたりまえのことをあたりまえに。それ、どういうこと?

社長の責務は、業績を上げ、経営を立て直すことだ。
経験値のない自分に欠けた知見を得るため、数馬さんは700人以上の経営者に手紙を書いた。返事をくれたうちの一人に「経営を教えてください」とお願いし、能登から月1回、師のいる東京へ通うこと1年半。
一体どんなことを学んでいたのだろうか。
「一番響いたのは、“あたりまえのことをあたりまえに”という言葉。いや、みんなそれ言いますけど、どういうことですか?って訊いたんです」
すると「子どもの頃に親から教わったことを、徹底して守る」と返ってきた。
悪いことをしたらごめんなさい、何かしてもらったらありがとう。友だちを大事にする、約束を守る。
そして、自分がされて嫌なことを人にしない。
「それらが本当に、全員に対してできとるか?と、あらためて考えてみました。たとえば泊まり込み(蔵で仮眠を取りながら、深夜も数時間おきに発酵状況などを確認したりする作業)など、自分なら歓迎できない環境を社員さんに与えているのは、自分がされて嫌なことをしとる、ってことですよね?」
そこで泊まり込みの制度をやめた。
そんな具合に、社の内外も年齢の上下も関係なく、誰に対しても「あたりまえのこと」を実践する。その先で、お互いに実践し合う光景が広がっていけばさらにいい。
大きな理想を掲げるよりも、1個1個の現実を落とし込んでいく、じつに愚直な作業である。


耕作放棄地を減らし、日本酒を増やす

世の中に必要とされる会社になるには、どうしたらいいのか?
当時の彼はこう考えた。
「世の中をより便利にするか、困ってることを解消するか、どっちかだ」
能登という地域には課題が多い。
だったら、それらを解消する方向へ進もうと、ことあるごとに「今、地元で困ってることは何?」と訊ね歩いた。
すると高校時代の同級生が、耕作放棄地の話を教えてくれた。
志賀町(しかまち)で農業を営む、『 ゆめうらら 』代表の裏貴大(うら たかひろ)さんである。
彼もまた関東の大学へ進学し、金沢で会社勤めをしてから地元へ戻ったUターン組。なぜ農業に転じたかというと、東日本大震災がきっかけだ。
「大震災の時、関東に住む友人たちの多くが食に困っていました。社会がパニックになって、コンビニも空だし、食べるものがないと」
世界的にも食糧危機が示唆されている今、土を持たない都市部は脆く、産地は強い。
それなら食べものを生む人になり「僕に関わった人を死なせない」という思い。そこへ元からの独立志向もあいまって、新規就農に至ったのである。

能登は、高齢化と人口減少、後継者不足などによって膨大な耕作放棄地を抱えている。裏さんはそういった田を借り受け、健やかな土に復田して米づくりを行っていた。
数馬さんの、課題解消の答えはこうだ。
「再生した水田で、お酒用の米を育ててほしい。必ず日本酒にするから、一緒にチャレンジしよう」
つまり耕作放棄地を減らしながら、おいしい日本酒造りに変換していく。裏さんの田は、水田の格付けで最高の「環境特A地区」。信頼する生産者の米で酒質が高まり、売れるほどに耕作放棄地が減る仕組みである。
2014年に始まった裏さんとのプロジェクトによって、3年後には一集落の耕作放棄地がゼロになり、4年後には能登全体で東京ドーム5個分が削減できた。
ちなみに復田作業には、酒販店や飲食店など取引先、大学生ら多くの人を巻き込んでいる。完成した日本酒は「自分が土作りから関わったお酒」と語られるうえ、地元の課題が自分ごとになるからだ。
そうして能登の景観を守り、誇れる場所として次世代へ引き渡すこと。
二人の目標はそこにある。

  • ゆめうらら
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失ったものより、残ったものが何かを見たい

「課題とは、人が困ったと思っているだけで、ただの事実」
解決の糸口を探る時、「課題」に絡みつくさまざまなノイズを排除しなければ、ものごとの本質を見失ってしまう。そこで数馬さんはこの言葉を指針に、努めてフラットであろうとする。
2024年1月1日に起きた、能登半島地震でもそうだった。
翌日蔵に駆けつけると、6棟ある蔵のうち4棟が壊れ、解体しなければ危険な状態だった。
「大事なのは、失ったものではなく、残ったものが何かということです。できるだけ感情を入れずに、事実だけに集中しました。2棟は残ってる。じゃあこの2棟で、どうすれば酒造りが再開できるか?」
さらに言えば今季だけでなくその後も見据え、すぐに冷蔵設備を発注。早い動きによって4月には醸造が再開でき、現在では3季醸造を実現している。
「地震のおかげと言うと語弊があるかもしれませんが、そう言えるくらい、地震の前よりよくならなければいけない。僕らにとってはそれほど、大きなできごとだったので」
前へと進む以外にないのだ。壊れたならば、これまで少しずつ改善してきたものが一気にできる、と捉える。5年後に目指した地点へ1年で行けるかもしれない、それくらいに。

ところで3季醸造になっても、年間の製造量はほぼ変えていない。その代わり、変わったのは従業員の労働時間である。
「人間のパフォーマンスを分解した時、能力、経験値、コンディションなどあるなかで、多くは能力や経験値を上げようとしますよね?僕は逆。コンディションを上げることによって、パフォーマンスを上げていこうと考えました」
かつて「重い、眠い、寒い」ともいわれた酒蔵の重労働。そんな環境でクリエイティビティが発揮できるのか?
否。醸す人間が健やかであれば、お酒も健やかに育つだろう。
その仮説から、就業時間は8:30〜17:00、土日は休みが徹底された。

未経験者こそウェルカム

『数馬酒造』では長年、能登杜氏の下で酒造りをしていたが、2015年に杜氏が離職。これを機に杜氏制を廃止した。醸造責任者には、当時20代だった社員の栗間康弘さんが抜擢され、現在は20〜30代の社員がメインとなり酒造りを行っている。
栗間さんは東京育ち。東京農業大学醸造学科を卒業し、日本酒を造りたくて全国の酒蔵の求人を探した人だ。それほどの熱意をもってしても、杜氏時代の朝5時起きはつらかった。
「早起きがとにかく苦手で。僕は杜氏制度が悪いとは思いませんが、ただ僕らだけで造るようになって、一体感は生まれてきました。また杜氏は季節雇用なので、お客さんの感想や評価が届きにくい。その点、通年雇用の社員なら情報がすぐに共有できて、次の造りから反映できます」

震災後、能登を去る人は絶えず、製造部からも2人が退職した。現在は栗間さんほか5人、そのうち2人が女性だ。
新卒者あり、子育て中あり、元バリスタあり。さまざまな背景を持つ面々は「未経験者こそ歓迎」という方針によって集まったのだろうか。
「日本酒業界はおもしろくてロマンもあるので、この業界に入ってくれる方を増やしたい。経験者を採用するとほかの酒蔵が困りますし、取り合いではなく、うちはうちの価値観に共感してくれる人を求めます」
能登の酒は伝統的に、濃醇旨口ともいわれる。しかし『数馬酒造』の日本酒は、栗間さんいわく「シンプルで、食材に寄り添うお酒」だ。
「能登は、野菜でも魚介でも鮮度がいいので、調味料をそれほど加えなくてもそれだけでおいしい。そういう食材に合う、繊細な味わいの日本酒です」
仕込み水は、能登町の山間から湧き出る、硬度0.6の超軟水。軟水は穏やかに発酵する分、やわらかくてやさしい酒になるという。

『数馬酒造』では、ベテランも新人も、設計から1タンクのすべてを任される責任醸造を行っている。造りたい日本酒を自由に造れる。ものづくりを志す若者にとって、なんと夢のようなシステムだろう。
それら数々の改革に「YES」の結果が出た。
2023年、代表銘柄の「竹葉(ちくは)」から瓶内後発酵純米酒が、IWC(International Wine Challenge)のSAKE部門スパークリングカテゴリーでトロフィーを受賞。ロンドン発の世界最大級ワイン品評会であり、トロフィーは最高位だ。
「能登を選んでもらうために」
今、選んでくれた人たちを、何がなんでも幸せにする。そして酒蔵の領域を超えた挑戦をしていく。具体案はこれからだが、でも挑戦することは決定事項、と数馬さんは言い切った。
なんかわからないけど、わくわくするじゃないか。まずは、人にそう感じさせる気運が最初の一歩なのかもしれない。

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数馬酒造
数馬酒造

理念は「能登を醸す」。地元の契約農家による100%能登産米を、山間の湧き水で仕込む。日本酒「竹葉」はやわらかい口当たりと、清らかな味わいが特徴。食の時を楽しくする日本酒造りを目指し、イカや牡蠣など能登の特産食材に合わせたシリーズも続々と発表。「竹葉」の定期便では、妻であり広報の数馬しほりさんによるお酒の解説や酒肴のレシピなども添えられており好評を博している。

(直営店)
石川県鳳珠郡能登町宇出津へ36
TEL|0768-62-1200
営業時間|月曜〜金曜9:00〜16:30、土曜10:00〜16:30
定休日|日曜、祝日

NEXT CHAPTER

「僕らの新しいローカリズム」石川県・能登編は全6回。
第6回は、『赤木明登うるし工房』
編集者を経て輪島塗の塗師(ぬし)となり、全国で高い人気を得ている赤木明登さん。自らの工房も被災したなか、職人たちの支援や、海辺の町の再建にも奔走されています。赤木さんが営む茶寮もまた「海辺の食堂杣道(そまみち)」として再開。今、赤木さんが能登で漆器をつくることの意味を伺います。

次回の公開は、2025年12月5日コールドムーン。毎月、満月の日に新たな記事を更新します。

CHAPTER 27  comming soon『赤木明登うるし工房』

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