僕らの新しいローカリズム

僕らの新しいローカリズム|石川 能登
半島という地形は魅力的だ。独立しているようでいて地は続き、
吹き抜ける風が、海の向こうから運んで きた種を落とす。
日本海に最も突き出した半島、能登。
北前船や京文化が種を落としたこの土地では、今また新しい人、戻る人、迎える人がひとつになって食文化の芽を育てている。
山から海へと巡る食、蔵と田が醸す酒、昇華された工芸品。
「能登の自然は時に厳しいけれど、それを癒やしてくれるのもまた自然」
傷ついた人々にさえそう感じさせてしまう、能登とはどんなところだろう?
写真/伊藤徹也 文/井川直子
CHAPTER 27『赤木明登うるし工房』
輪島でしかつくれないうつわ
Googleマップでは辿り着けない森の中、『
赤木明登(あきと)うるし工房
』は静かに佇んでいた。周りに建物はなく、代わりにハゼノキというウルシ科の樹木が生い茂り、合間にレンギョウの花も咲いている。
深い緑と陽の光を浴びるうるし工房、というのも珍しい。
うるしは紫外線に弱いからだ。伝統的には暗い場所で作業するところ、赤木さんは紫外線100%カットの窓ガラスで、気持ちのいい眺めを手に入れた。
国指定重要文化財である輪島塗の塗師(ぬし)、赤木さんの定位置は、工房の2階にある。
木地から始まって下地、上塗りまで124もの工程が連なる最終段階。表面になめらかな塗りを施す仕事は、他者の立てる微かな埃も許さないため、作業はいつも一人きりで行われる。
「僕のうつわは“赤木明登作”で世の中に出回ってますけど、僕だけでつくっているわけじゃない。職人さんたち一人ひとりの高い技術力が集結することで、個人の能力を超越したものができ上がるんです」
工程ごと、さらに形や種類ごとに専門の職人がいる分業制。手から手へと渡していくため、狭いエリアに職人たちが密集する、それが輪島。
能登半島地震で最大震度7という揺れに襲われ、甚大な被害を受けた町である。
輪島塗は、輪島でしかつくれない。
その理由は職人たちのリレーワークともう一つ、特有の「地の粉(こ)」にある。
地の粉とは、うるしに混ぜる土や粘土などの粉末で、輪島の場合はそれが珪藻土からできている。珪藻(プランクトン)の骨や外殻が海底に積もり、化石化した土だ。
「はるか昔、能登半島は海の底でした。地殻変動や隆起を繰り返して半島になったので、山から珪藻土が出てきます」
珪藻土は、無数の微細な孔(あな)を持つ多孔質。
木のうつわがひび割れる大きな要因は「熱」による変形だが、輪島地の粉は孔に空気を抱え込むため熱を伝えにくい。さらには孔にうるしが浸透して、硬く結びついてくれる。
だから輪島塗は、「100年使える」といわれるほど堅牢なのだ。
おっさんがあぐらかいて、睨んでるような重箱
赤木さんは輪島の出身ではない。
岡山県に生まれ、東京の出版社で雑誌編集の仕事をしていた人だ。1985年の入社だから、世はバブルに向かって一直線の時代。
「その頃は企画、取材、執筆、スタイリングまで手がけて、会いたい人にも会えました。映画監督に小説家、みんな個性的おもしろい。だけど、彼らの話を僕がまとめるとつまんないんですよね」
自分には芯がないからだ、と感じた。自分で手に入れた経験もない、何をやりたいのかもわからない。
「薄っぺらくて、このままじゃちょっと死ねないなと」
もやもやを抱えていた時期に、展覧会で「捕まってしまった」のが輪島の漆工芸家、角 偉三郎(かど いざぶろう)氏の作品だった。
「お椀や重箱が、生きているように見えたんです。重箱なんて、おっさんが腕を組んであぐらかいて、こっちをギロッと睨んでるような」
在廊していた本人と意気投合。誘われるがままに輪島へ遊びに行くと、居酒屋で、輪島オールスターズとも言うべきうるし職人たちが飲んでいる。
「この人は上塗り名人、こっちは当代一の指物(さしもの)師とか。全員おじいさんなんですけど、やたらかっこよかった」
帰京しても「輪島」「うるし」「職人」が頭から離れず、気がつけば妻の智子さんと、1歳の娘とともに輪島へ移住していた。
三日三晩飲み続け、なんてことも日常茶飯事の師匠たち。アナザーワールドな破天荒ぶりに驚きながらも、赤木さんは「職人」に魅了されていく。
「努力すればするほどできるようになって、慢心すると奈落の底に突き落とされる。その繰り返しが“自分の力で技術を身につけていく”こと。それは楽しいですよね」
「輪島塗のいい形」が血のように流れている
分業制と聞くと、私たちはつい「全体の一部分」と捉えがちだが、輪島ではそうじゃない。逆だ。「誰が欠けても成り立たない」という意味である。
「その人がいなくなると、もうつくれないものが本当にあるんです。職人はかけがえのない、交換不可能な存在。反対に個性的なものは、交換可能だと僕は思います」
2024年元日の能登半島地震で、椀木地師・池下満雄さんの工房が倒壊した。
ご本人は無事だったものの、工房の前に座り込んだまま茫然自失。3日目に意識を失って搬送された。
「池下さんの中には、父、祖父、曽祖父と代々つなげてきた“輪島塗のいい形”が血のように流れているんです。そんな風に僕が一緒に仕事をしているのは、今生きている職人だけでなく、過去の職人たちでもある」
職人とともに「いい形」が消えてゆくことを、なんとしてでも阻止したい。
赤木さんは、すぐさま「小さな木地屋さん再生プロジェクト」を立ち上げて支援を募り、わずか3カ月で工房を再建。回復した池下さんが仕事復帰を果たすと、2人の職人が木地師としての修業を始めることができた。
池下さんが87歳で逝去されたのは、その数カ月後のことだった。わずか数カ月。だとしても、間に合った日々は輪島にとって希望の種である。
再建された工房の建物は、職人らしい、簡素な造りの美しさが尊重されている。真の復興とは何か。
その一つの答えを、赤木さんは世に示したのかもしれない。
もし解体して更地にし、新たに建てられるものが均質化された交換可能な建物であるならば、そこで輪島の歴史や文化、風土を語る景観はぷっつりと途切れてしまう。
そうではない、交換不可能な景観を継承する復興の在り方。赤木さんはそれを「工藝的復興」と呼び、今、半島の北西に位置する輪島市門前町鹿磯(かいそ)でも行っている。地震で海底が4メートルも隆起し、多くの家屋が倒壊したエリアだ。
「夕日が真正面に見える、美しい場所です。江戸時代は北前船の船主たちが住んでいたので、かつては立派な家が立ち並んでいました。細い道に瓦屋根、格子戸が連なってね」
赤木さん自身も被災しながら、古民家を可能な限り救済して、集落としての景観をリプロダクトする計画である。
「僕はうつわ屋さんですけど、拡大解釈すれば家もうつわだし、町もうつわだと考えて」
壊れたものに修復を施し、再び美しく、堅牢に仕上げる仕事。たしかに輪島塗と似ている気がした。
海へ走り、山へ走る、まさにご馳走
2025年4月、この集落にある『海辺の食堂 杣径(そまみち)』を訪れた。
地震の前年に山側で開業し、半年後に被災してしまった日本料理のオーベルジュ『茶寮 杣径』の仮店舗(食事のみ)である。
仮、と言いながら江戸後期の田の字型(正方形の4部屋+台所)の間取りに、うるしの技巧を施した天井、出格子の組子細工など見事な意匠だ。
料理長の北崎裕(ゆたか)さんは、京都で京懐石を修業し、金沢で独立。ところが街なかより、自然を求めて新潟へ。オーベルジュの総料理長を務めた後、より理想に近づくため輪島へ来た。
「僕は目の前に食材がないと、料理を考えられない人なんです。今日手に入ったものを並べてあれこれと考える、それが楽しくて料理を続けているようなもの。この集落は目の前が海で、裏はすぐ山。今朝も海でわかめ、山でこごめ(こごみ)と甘草を採ってきました」
まさに「ご馳走」だ。
採りたてのこごめやつくし、セリ。薹(とう)が立ってきたふきのとうだって、叩いてオイル漬けにすればほろ苦のアクセントになる。
伝統食もおもしろい。さばを塩と米ぬかに漬けて熟成させる「こんかさば」は文献をひもとき、輪島のさばと珠洲(すず)の塩、自然栽培米のぬかで3年寝かせた自家製だ。
珪藻に由来する赤木さんの漆器は、輪島の山海から生まれる料理の“舞台”である。
春の息吹きを感じる山菜盛り合わせは、虚空(こくう)という、天に向かって手を広げるようなうつわで勢いを増す。
銀杏の木をごく薄く削った白漆鉢には、白菜の菜花とからし菜の緑、酢蓮・赤蕪・黄蕪の白・赤・黄、ビーツのローズピンクの春爛漫。フライにした椎茸は「のと115」。山のアワビとも呼ばれる原木しいたけだった。
ところで、前浜の海で採ったわかめの味噌汁に、ふうわりと甘みを感じたのは気のせいだろうか?
「いえ、昆布と干ししいたけのだしに、微量の玉ねぎを加えています。僕はお料理に砂糖やみりんを使わず、食材の持ち味を引き出したい。その代わりにわずかな甘みを、だしで摂ってもらいます」
砂糖やみりんが普及する以前、日本のおいしさは「淡い味」だった。耳を澄ますように味覚へと心を注ぎ込めば、未知なる、だけどDNAにはあるはずの扉が開かれていく。
静かな海辺の環境だから、ゆっくりと、そんな食体験ができるのかもしれない。2026年秋には食堂の向かいに、ようやくオーベルジュの『茶寮 杣径』が再オープンする。

- 赤木明登うるし工房
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輪島塗の伝統技術を踏襲しながら、現代の暮らしに馴染む漆器をつくる。「小さな木地屋さん再生プロジェクト」は、2025年度グッドデザイン賞、日本和文化グランプリを受賞。「海辺の食堂 杣径」「茶寮 杣径」は、ともに建築家の中村好文氏がリノベーションを手がけている。

- 海辺の食堂 杣径
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石川県輪島市門前町鹿磯1-17
TEL|090-4605-3737
営業時間|
ランチ 木曜〜日曜11:30〜14:30(L.O.)
ディナ 水曜〜日曜の完全予約制
定休日|月曜、火曜
食事|ランチ定食2,000円、ディナーコース18,000円
※団体・貸切はランチコース5,500円〜の予約可
NEXT CHAPTER
次回からは、新たなローカルが始まります。
『岐阜県・郡上』
土地の9割が森林で、3つの川が合流する清々しい土地。
鮎が泳ぎ、鳥は休み、釣り人や遊ぶ子どもが清流の恵みを分け合います。
山あいの、この城下町がアブサンの産地へと続く「フランス・ポンタルリエの景色に似ている」と、一人の蒸留家がボタニカルなアブサンやジンの蒸留所を立ち上げたことから始まる郡上編、全4回の物語です。
次回の公開は、2026年2月2日スノームーン。毎月、満月の日に新たな記事を更新します。
CHAPTER 28 comming soon 『アルケミエ辰巳蒸留所』



































