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本物しかつくらない『堀河屋野村』

2020.09.15
ARTISAN -堀河屋野村

本物しかつくらない。 手づくり味噌と醤油の『堀河屋野村』

DEAN & DELUCAは、世界中のおいしいものをセレクトする食のマーケットです。伝統を大切に、真面目に丁寧に、本当のおいしさを手掛けるつくり手(ARTISAN)との出会いにより、ここまで歩んできました。その日々には”一生お付き合いしたい“と想えるような、新たな出会いが数々あります。

回ご紹介するのは、そんな一人。「三ツ星醤油」「径山寺味噌」などを手掛ける『堀河屋野村』の13代目ご主人・野村太兵衛さんとのストーリーです。和歌山県御坊にある、その工房を訪ねました。

 

DEAN & DELUCAが『堀河屋野村』と出会った理由


2004年、品川店のオープンとともに、日本の和食材のラインナップを充実させてきたDEAN & DELUCA。これまで和食材に欠かせない基本の調味料をはじめ、雑穀、うどんやそばといった麺など、様々なパッケージフードをそろえてきました。

そんな中、新たなつくり手との出会いを求めて、和食材を見直す動きがはじまります。見直す上でキーワードとなったのは「(1)クラシックであること。(2)地域に根づいた生産をしていること。(3)日常使いのための調味料であること。(4)つくり手の顔やこだわりがしっかりと見えていること」。どれもがDEAN & DELUCAが大切にしてきたルールです。

食材の中で、まず見直したのは、日本の味付けに欠かせない調味料「醤油」でした。

「どんなつくり手さんとお付き合いしたいか考えたとき、まず醤油のルーツを辿ることからはじまりました。その場所は紀州だと知り、探っていくうちに出会ったのが『堀河屋野村』さんの三ツ星醤油です。4つ(のルール)の視点をすべて押さえていましたし、また醤油が生まれるきっかけとなった径山寺味噌(Theme2を参照)をつくっていらっしゃったのも、大きかったです。それで実際、醤油を味わって……これはどうしても取り扱いたいと思いました。コクがあるけれど濃いという感じはなく、甘みもある。そして香りがすごくよい。とにかくすべての料理を引き立たせる、台所の常備品になると思いました」

と語ったのは、和食材商品担当の佐々木潤。こうしたことがきっかけとなり、新米の収穫が待ち遠しい秋の頃、”ごはんのおとも“に合わせたい料理に欠かせない調味料として堀河屋野村の三ツ星醤油や径山寺味噌が各店の和食材コーナーに並びます。


日本が誇る調味料「醤油」。 そのルーツとは?


日本の醤油の誕生は、鎌倉時代にさかのぼります。そのはじまりは、一人の禅僧が中国の浙江省の径山寺から味噌の醸造法を持ち帰ったことから。当時、禅僧は紀州(現在の和歌山県由良町)に西方寺(後の興国寺)を開き、径山寺で学んだ味噌の製法を近所の人たちに伝えていきます。そしてある日、この「径山寺味噌」の上澄み液を取り分けて煮物をつくってみたところ、大変おいしかったので、その液がやがて独立した調味料としてつくられるように。これが醤油のはじまりといわれています。

その後、日本で初めて「醤油」の文字が文献に現れたのは、室町時代。当時は貴族階級や武家社会でしか使われない高級な調味料でしたが、江戸時代になると醤油は庶民のあいだにも幅広く使われるようになっていきます。

ちなみに醤油づくりが関東へと伝わったのは、17世紀の中頃、紀州商人たちが黒潮に乗って房総へと移り住んだことがきっかけなのだとか。今では関東の醤油の一大産地として知られる銚子や野田も、そのルーツをさかのぼれば、こうして興国寺へと戻っていきます。

おいしい醤油、味噌には品質のよい「もろみ」づくりが必須です。堀河屋野村では、麹を食塩水とともに、100年以上使っているという杉の巨大な大桶に仕込みます。麹菌の酵素は濃い食塩水のなかで発酵し続け、もろみとなって熟成。 この繰り返しによって木桶には、代々仕込まれてきた麹菌が住みつくのです(木桶は一般的に使われているタンクと違って、表面だけ洗っても菌がしみ込んでいるので、結果的に失われずにすむ)。そしてこの桶をはじめ、梁や土壁など、長きに渡って蔵の至るところにすみ着いている酵母や乳酸菌が、醤油の風味と香りをまろやかに育ていきます。

御坊としてのはじまり

一説によれば、興国寺近辺の水は醸造にはあまり向かず、水質の良い湯浅、御坊で醤油作りが盛んになっていったとも。その御坊で、やはり寺直伝の径山寺味噌と三ツ星醤油をつくり続ける老舗が堀河屋野村です。

創業は元禄年間(1688年〜1703年)。もとは廻船問屋を営んでいたところ、当時、得意先への土産用にしていた径山寺味噌と醤油が評判となり、それをいつしか家業に。それ以来、300年あまり、17代(本業になってからは13代)野村太兵衛さんと長きに渡って、頑なに昔ながらの伝法を守り、手づくり一筋に味を守っています。

手造り一筋。 DEAN & DELUCAでも一押し

「おいしい日本の醤油は日本の材料でつくるのが一番」という野村さんの信念のもと、三ツ星醤油の原料には国産大豆のなかでも粘り気のある、北海道産大豆と国産小麦を使用しています。そして全ての工程において、何より手間と時間を贅沢に使っています。これもまた「自社の商品が一番旨いと言い切ることのできる生産者であり続けたい」という野村さんのこだわりから。伝統そのものを守るのではなく、おいしさを追求し続けるなかで、結果的に堀河屋野村の味は、300年続く伝統製法でつくられているのです。

醤油づくりの心臓部である堀河屋野村の蔵には、100年以上の年輪を刻んだ22石入の木桶が16個並んでいます。この木桶でもろみを発酵・熟成させるのです。そのほかにも小麦を焙煎する焙烙、火入れ用の釜……全ての道具が人の手仕事に見合った最小規模のものになっています。

こうした伝統製法による本来の醤油は、十分煮沸した大豆と炒った小麦を混ぜて種麹を加え、出来た麹を食塩水とともに仕込んで長期間かけゆっくり熟成させます。五味の調和の上に、さらに香味豊かな醤油の絶妙な味わいは、時間と微生物とが十分に活躍して初めて出せる技であることは今も昔も何も変わりません。「手をかければかけるほど、香りが膨らむような気がします」と、野村さんは言います。

「そのままお刺身やお漬物、湯豆腐などにお使いになると、なお一層、真価が堪能いただけますよ。生のままの醤油のうまさこそ、まさに”本物“の証ですから」とは野村さん。実際、取材時に、野村さんの奥さまの真理さんがもてなしてくれたお刺身にさっと三ツ星醤油をつけて口に含んだ瞬間、その言葉の意味にすぐさま納得したのでした。

また、今回伺った際、仕込み真最中だった径山寺味噌は、瓜とナス、紫蘇、生姜など、夏に採れた野菜を冬までおいしく食べる保存の知恵からできたもの。この「なめ味噌」もまた、秋の新米のおともに、酒のつまみに最適です。

13代目当主・野村太兵衛さんの想い

家業を継ぐ前から「本物 is ベスト」という哲学を持っていたという野村さん。

「僕は小さい頃から周囲の人に恵まれて育ちました。特に大学時代は、堀口大学先生(翻訳家・詩人)をはじめ、山本嘉次郎氏(映画監督)、徳力富吉郎氏(版画家)など、多くの文化人と交流を持つことができて、そこで様々な食の体験をさせていただいたことが、自分のなかの本物志向をつくってきたのだと思います。

本物とは、決して高価なものだけを指すのではありません。素材にこだわり体によいものを。そして最終的には自分が本当においしいと思えるものを食べたい。その欲求に正直になるというか、食べ物に対してちゃんと自己主張をすることです。その経験が醤油づくりに還っていくんです。結局、食べ物をつくるというのは、自分がおいしいものを食べたい、その一心ですから」

昭和40年代、大学卒業後に野村さんが家業を継いだ頃は、製造コストを下げた安価な大量生産品に押されて、堀河屋野村は赤字が続いていたといいます。けれど、そんな時代にも支えになったのは、野村さんの哲学でした。「本物しかつくらない」。それが多くの人々の支持を呼び、やがて堀河屋野村そのものの強い信念へと変わっていきます。

「自分の舌感覚を信じてやってきました。私はずっと創業者感覚を持ち続けられたことが、今までやってこれた理由のひとつになっていると思います」

保存料や合成添加物は一切使わず、吟味した国産材料と昔ながらの手仕事でつくられた醤油や味噌は、味や香りはもちろん、値段にも差があるのは、当然のこと。私たちはその手間を含めて、おいしくいただいているのかもしれません。

「世の中を広く見聞きするということが大事だと思っています。私自身は日本食に限らず、さまざまな国の食が大好きです。うちの醤油も例えばソイソースとしてフランス料理の隠し味に使ってくれたらうれしいし、使う人それぞれが心からおいしいと自己主張してもらえるように使っていただければ、何よりだと感じています」

堀河屋野村|HORIKAWAYA NOMURA
堀河屋野村|HORIKAWAYA NOMURA
1688年、和歌山の寺町にて創業。以来、18代にわたり、伝統を守り続ける。『堀河屋野村』には、店舗を併設。「いつでも自分の舌を信じて、おいしいものを食べたい」というこだわりのもと、三ツ星醤油や径山寺味噌といった自社商品はもちろん、野村さんが日常的に使っている調味料を始め、好みのお酒、食材などが豊富に並んでいる。

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