僕らの新しいローカリズム

僕らの新しいローカリズム|北海道 美瑛・東川
小麦、じゃがいも、とうもろこしなどの畑がパッチワークを織りなす丘の町・美瑛(びえい)。
そのお隣で、大雪山連峰に育まれた清冽な地下水が生活水、という水の町・東川。壮大な山岳、森林、河川に恵まれた両者は、古くから写真カルチャーが息づく土地柄でもある。旭川空港から、美瑛は車で15分、東川は10分。じつは大都市からのアクセス抜群なこの地では今、新しい人々がさまざまな食文化を持ち込み、それぞれの世界観を創っている。
写真/伊藤徹也 文/井川直子
CHAPTER 21『忽布古丹醸造(ほっぷこたんじょうぞう)』
そこにホップがあったから
『
SSAW BIEI
』の庭で採れたラベンダーが、クラフトビールになったことがある。店主で料理家のたかはしよしこさんからそう聞いて、美瑛の隣町、上富良野を訪れた。
波乗りのようにアップダウンする一本道を抜け、辿り着いた『忽布古丹醸造(ほっぷこたんじょうぞう)』の前にはなぜか、止まったままの大きな観覧車。聞けば醸造所は、地域の観光スポット『
深山峠アートパーク
』の一角を“間借り”していて、シーズンの夏にはちゃんと動くという。
「花のビールはヨーロッパの伝統的にも存在します。スパイスと似た感覚で、味というより香りを生かすんです」
オーナーブリュワーの堤野貴之さんが上富良野で花のビールを造ったのは、「そこにラベンダーがあったから」。『SSAW BIEI』へ食事に行ったとき、庭からやさしい香りが運ばれてきたのだそうだ。
ラベンダービールは2023年秋の限定発売だから、残念ながら今はない。ということで、代わりに定番の「upopo(ウポポ)」を、仕込み中のタンクから取り出し、飲ませてくれた。
ウポポって、なんだか楽しげな名前。ごくんと流し込むと、喉の奥からグレープフルーツのようにみずみずしく、苦みを含んだ香りがぐんぐん追いかけてくる。豊潤だが、甘みはない。
頭の中で、ボブ・ディランが『風に吹かれて』を歌い始めてしまった。丘と森が重なり合う上富良野の、風みたいなピルスナー。なんて妄言が聞こえていたのだろうか。
堤野さんが、「ウポポ」とはアイヌ語で「歌」という意味だと教えてくれた。
堤野さんは、クラフトビールがまだ「地ビール」と呼ばれた時代から業界を支えてきた人である。同じ北海道の江別『
ノースアイランドビール
』醸造長を務め、高い評価をもたらした彼が、上富良野を選んだ理由とは?
またしても「そこにホップがあったから」である。
ビールの基本的な主原料は、大麦麦芽(モルト)、ホップ、水、酵母。日本ではコーヒーと同じようにビールもまた、輸入原料で造るのが一般的だ。
それでも北海道なら大麦や小麦は栽培されているものの、ホップは希少。多くのビール醸造家がそうであるように、堤野さんもまた畑に伸びるホップの蔓も、結球した実の姿も見たことがなかった。
「それがずっともやもやしていて、いつかは地元の材料でビールを造りたいと思っていました」
希少だが、北海道にはホップを商用栽培している土地が唯一あり、それが上富良野だったのだ。
畑に近い醸造所の特権、ハーベストブリュー
『忽布古丹醸造』の定番ビールは、堂々、上富良野産ホップ100%。それもカスケードというアメリカ品種のほか、なんとオリジナル品種も持っている。
柑橘に例えられることの多いホップの香りだが、このオリジナルは「ピーチ」に似た甘やかな香り。上富良野に自生する野生種と、カスケード種との掛け合わせ。生みの親はホップのスペシャリスト、稲葉彰さんである。
大手ビールメーカーの原料開発研究所長を務めていた稲葉さんは、長年にわたって交配や品種改良の研究に携わってこられた叡智。一方で、自らホップ栽培も手がけている。
「北海道では、じつはいたるところに野生ホップが生えています。寒暖差もあるし、雪の降る土地であることがとても大事。地下茎で増える植物ですから、地上の蔓や葉が枯れても、地下では来春のために株が休眠しているんですね」
晩秋の取材時、綺麗に刈り取られた畑には土しか見えない。だが土の中では株が発芽の力を養っている。芽を出したら、夏に向かって1日15センチの勢いでぐんぐん蔓を伸ばし、やがて高さ5メートルもの、壮大な「緑のカーテン」が現れるのだ。
収穫期はたったの2週間。ビールは1年中仕込むため、通常、ホップは酸化しないようすぐさまペレットに加工し、安定した品質で使用する。
ただし、ハーベストブリューだけは別だ。摘み取った生ホップを丸ごと使う収穫仕込みのことで、2週間だけのこのチャンスを、堤野さんは「畑近くで造っているブリュワリーの特権」と語る。
「朝いちばんにうちのスタッフも参加して収穫し、3時間後には釜へ投入しますから」
「いつもの味」に近づける定番に対して、ハーベストブリューは「違い」こそが醍醐味。今年のホップはこんな味だね、と生産者も醸造家も飲み手も一緒になって実りを祝うビールである。
いつかは地元産100%のビールを
堤野さんの最終目標は、ホップに限らず「地元産100%」。その真意は、競合との差別化だとかブランド化とはまた別のところにある。
「日本のものづくりは、海外の原材料に頼らざるを得ない現状です。輸入価格が高騰するなか、自力では成り立たない日本の産業は、一体どうなっていくんだろう?漠然と持っていた恐怖感が、ここ数年の世界情勢によってさらに強くなりました」
自分たちの力で成り立つ、強いものづくり。それは原材料を地元でまかなう、ゼロ地点からのものづくりだ。
大麦を発芽させるモルトは、まだ精麦技術の高いカナダやドイツ産が主軸だけれど、地元化を見据え、道東の中標津町産も試験導入。
一方、ビールの個性を彩る副原料は、すでに多くが地元産だ。
中富良野『
ドメーヌ・レゾン
』のワイン用ブドウの搾りかす、北見で採れるハッカは廃棄される残渣枝をアップサイクル。上富良野の生産者・大角友哉さんのカボチャで造るIPA(インディア・ペール・エールならぬ、インペリアル・パンプキン・エール)と、北海道のブランド米「ななつぼし」によるラガー。
ちなみに、ビールのろ過工程で発生するモルト詰まりを解消するのが、米のもみ殻だそう。『忽布古丹醸造』はこのもみ殻を大角さんから譲ってもらい、代わりにビールを贈っている。
毎年春にリリースするコーヒーエール「epana(エパナ)」の原料は、上富良野の江花(エパナ)地区にあり、堤野さんの行きつけでもある『
江花(えはな)珈琲焙煎所
』の深煎り豆。オーナー・澤徹之さんの丁寧なハンドピックと自家焙煎によって、香り高く雑味のない味わいが実現している。
コーヒーを使ったビールといえば、よく知られているのは黒ビールベースの高アルコールタイプだが、「epana」は明るい琥珀色で4%ほどの低アルコール。コーヒーのように軽い飲み心地の、昼間が似合うビールになった。
でも、農産物を加えればいいというわけじゃない
「クラフトビールの魅力は、多様性。その意味でいうと上富良野はバラエティ豊かですが、農産物を加えればいいというわけじゃない。肝心なのは、完成したビールのクオリティです」
そもそもビールは、醸造家それぞれのレシピを基に造られる。
堤野さんいわく、「ワインのベースがブドウのジュース(搾り汁)なら、ビールの場合は穀物のスープ」。数あるモルトやホップのなかから選び出し、材料、分量、時間といったレシピを組んでスープをつくる。
次にはスープに酵母を添加して発酵させる。
「発酵が始まると糖度が落ちて、pH(ペーハー)も下がっていく。どのタイミングで酵母を抜けばいいか、ホップは何をどれくらい追加したほうがいいか、否か。この発酵管理によって、スープでは2次元だった味が、3次元に立体化していくイメージです」
人の手の仕事によって完成するから、「クラフト」ビール。町おこしのために特産物を加えて「地ビール」と名乗っていた時代との、決定的な違いはそこにあるように思う。
「僕は正直、町を活性化する目的で造っているわけじゃありません。ビールは農産物。地元の素材でおいしいビールを造りたいだけです。何が売れるかよりも、自分たちが飲みたいビールを造り、でき上がったビールに共感してくれる人がいればうれしいなと」
自分の「好き」で表現していい。それぞれ違ってまったくいい。だからなのか、クラフトビールとは、飲む人がいつも笑っているような気がする。

- 忽布古丹醸造
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2018年、上富良野に創業。地元産ホップ100%の「オリジナルズ」を定番に、コラボレーションや多彩な副原料を使った「オリジナルズプラス」、スタッフの造りたいビールを毎週リリースする「フリーダムズ」、年に一度の生ホップ「ハーベストブリュー」シリーズを展開。加えて、木樽熟成の新シリーズも準備中。
瓶ビールは オンラインショップ にて購入可。
札幌にタップルーム『 BEER KOTAN 』もあり。
NEXT CHAPTER
次回からは、新たなローカルがはじまります。
『石川・能登』
2024年1月の能登半島地震、9月の奥能登豪雨。
心をえぐられるようなできごとが続いた能登ですが、
季節は巡り、今、自然も人々も「本来の」営みをもう一度紡ぎ始めています。
本来、この土地は穏やかな山、波の花が現れる海といった自然に加え
人の手仕事による、美と堅牢を備えた工芸が発達した土地。
次回から、満開の桜が咲く能登を訪ねたシリーズが始まります。
次回の公開は、2025年7月11日のバックムーン。毎月、満月の日に新たな記事を更新
CHAPTER 22 comming soon『Villa della Pace(ヴィラ デラ パーチェ)』がある七尾湾を訪ねます。