僕らの新しいローカリズム

僕らの新しいローカリズム|石川 能登
半島という地形は魅力的だ。独立しているようでいて地は続き、
吹き抜ける風が、海の向こうから運んで きた種を落とす。
日本海に最も突き出した半島、能登。
北前船や京文化が種を落としたこの土地では、今また新しい人、戻る人、迎える人がひとつになって食文化の芽を育てている。
山から海へと巡る食、蔵と田が醸す酒、昇華された工芸品。
「能登の自然は時に厳しいけれど、それを癒やしてくれるのもまた自然」
傷ついた人々にさえそう感じさせてしまう、能登とはどんなところだろう?
写真/伊藤徹也 文/井川直子
CHAPTER 22『Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)』前編
僕が見ている風景を、皿の上に持っていきたい
料理に使う山菜や野草の収穫に連れて行ってほしい、とお願いしたら、平田明珠(めいじゅ)シェフは近所を散歩するみたいな格好で現れた。長靴こそ履いているものの、収穫用のカゴもないばかりか、手ぶらだ。
「僕が採りに行くのは、手つかずの森とかじゃないので。人間が立ち入っていい領域で、採るのも手で持てるかポケットに入るくらいの量」
オーベルジュ『
Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)
』から車で10分少々走り、訪れたのは神社だった。霊山と呼ばれる山に、飛鳥時代に創建された赤倉神社には、神仏分離以前の仁王像が構える門も遺る。
この仁王門を抜けた途端だ。清浄な空気、どれもが御神木のように敢然と立つ大木、艷やかな苔。結界を超えた、と感じた。
「植物の生態系も変わるんですよ」
拝殿に着くといつも、平田さんは「少し分けていただきます」と手を合わせる。鳥居の先は急な石段になっていて、奥の院と呼ばれる本殿へと続くのだが、採取するのは鳥居の外側だけ。
自分でそう決めている、と語る彼の「領域」が、じわりじわりと見えてくる。
神仏の領域、動物の領域、植物の領域。それらは人間が立ち入ってはならない場所で、能登の人々はこれまでも畏敬の念を抱きながら共存してきたのだ。
人間の領域である参道でも十分に、野イチゴの白い花、三つ葉、タラの芽などを次々と見つけることができる。だが、それさえも平田さんはむやみに採ろうとはしない。
「ここです」
声の示すほうを見ると、陽光の差し込むなか、澄んだ池が広がっていた。
「名水百選にも選ばれていて、ヨガやってる人がいたり、作業着のおじさんがお弁当食べてたり。この水辺にはミズブキも生えているし、葉わさびもすごくいいんですよ」
葉わさびはほかの川辺で採っていたが、2024年の能登半島地震で山が崩れてしまった。でも震災後、種が流れてこの池に新しく群生したのだそうだ。まったく、自然は強い。
葉を一枚もらって噛むと、みずみずしく、後から清涼な辛味がキリッときた。見た目通りのピュアな味。
「こっちはミズブキ。葉は地元ではカタハって言って、硬い葉だから食べません。茎はアクもないのでそのままキャラブキにしたり。茎や葉の付け根ににできるムカゴがまたおいしくて、僕は生のままサラダにしたり」
ここは平田さんにとって、アイデアの源泉であるらしい。
『Villa della pace』のアミューズに登場する「ブーケ」も、野草を摘みながら自分の手を見て「このままブーケのように届けられないだろうか?」と生まれた一品。
「僕が見ている風景を、皿の上に持っていきたいんです。水辺に生えている清々しさとか、花や実をつけた可愛い感じとか。自分が綺麗だなと思ったことをお客さんにも感じてほしい」
東京を出たかった
平田さんは東京に生まれ、東京の大学を出て、東京のイタリア料理店でシェフを務めていた。だが「イタリアで修業したい」と店の経営者に訴えると、こう返ってきた。
「イタリアへ行く料理人はたくさんいても、日本のことを知っている人は少ないよ」
そこから店の研修で全国各地を巡り、淡路島でのこと。フランス料理店『ARTISAN シャルティエ』の成瀬孝一シェフの日常を目の当たりにして、東京では考えられない、と思った。
「地元の漁師も農家も、みんなが“シェフ!”って声をかけてくる。小学校での食育や、未利用魚(出荷できない魚)の活用もあたりまえにしていて。料理人として、そんな生き方があるのかと」
地方に惹かれながら、でもまだどこか自分ごとじゃない。そんな時期に出会ったのが、和歌山『
villa aida(ヴィラ アイーダ)
』の小林寛司シェフだ。
「料理があまりに衝撃的でした。都市じゃできない。和歌山だから、自分たちの耕す畑があるからできる料理。でもそれは素材の力という意味ではなくて、小林さんにしか絶対につくれないという意味です」
東京を出よう、すぐにでも。東京が故郷である平田さんは、いくつかの候補から移住先を探した。
能登には、東京時代の仕入先である『
能登かき 宮本水産
』へ訪れたのが最初だ。この半島では自然と直結した暮らしが営まれていて、人と人との関係は深く、そし牡蠣の眠る七尾湾は湖のように穏やか。
「ここで料理をつくりたい」
海を眺めながら思いが湧き上がった時、イタリア語で「パーチェ(平和)」という店の名が浮かんだ。
2016年9月、七尾市の内陸部に『Villa della pace』を開店。だが地元では「高い店」とされ、野草を使えば「拾ってきたもんで儲けとる」とも言われ、つくりたい料理と地元の評価とが噛み合わない。
何が足りない?
自分に問い続けること4年。平田さんは、移住の原点ともいうべき「穏やかな海」の近くに店を移転し、目標だったヴィラ(宿泊)も前倒しで実現する攻めに出た。
考えに考え、至ったのだ。
足りなかったのは『Villa della pace』としての世界観。いやその前に、「自分はこの土地で、一体何を表現したいのか?」という芯の部分だった。
1980年代の海水浴場に残された、海の家
能登半島の中ほどにある七尾湾。2020年11月17日に移転した『Villa della pace』は、1980年代には海水浴場だった浜に残された海の家を、石・木・鉄のマテリアルでリノベーションしている。
海の家として地元の人に親しまれた記憶をもちながら、レストランとして遠方の人を迎える姿をも想起させる建物。自己主張はないが、自然への敬意が伝わる空間や庭。平田さんの料理に通じる世界観を設計したのは、金沢『
継手意匠店
』の岩本守雅さんだ。
レストランのテーブルに着くと、窓から見えるのは原点の海と、対岸の和倉温泉郷に立山連峰、近くて広い空。ときどき横切っていくのは渡り鳥か、釣り人か。
海沿いを少し歩けば、樹齢300年の広葉樹が生い茂る原生林に辿り着くここは、能登の森羅万象を象徴するような場所である。
新『Villa della pace』は、開店半年後に『ミシュランガイド北陸2021特別版』で一つ星とグリーンスターを獲得した。
能登半島地震が起きたのは、歯車が噛み合い、回り始めた2024年1月のことだった。店ではワインや食器などの備品が損壊したが、平田さんは地元の料理人らとすぐ炊き出しに動く。
七尾市では4月に水道が全域で復旧し、店も4月から営業再開。その後も全国の復興イベントに駆けつけたり、海水浴場跡地で『
FESTA DELLA PACE
』を開催し“外”から能登へ人を呼んだり。シェフたちのチャリティ・コラボイベント『NOTO NO KOÉ』もすでに3回を終えた。
「能登のために」
彼が動くのは、一つに、能登半島の人口流出が止まらないからだ。
2025年1月現在、輪島市や珠洲市など6市町の人口は、1年間で7116人も減っているのだ。平田さんは妻と、ここで生まれた娘と暮らしている。能登の未来は、この土地が故郷になった子どもたちの未来でもある。
能登半島の農山漁村料理に学ぶ
取材に訪れた4月は、山も里も海辺も桜。それは能登の牡蠣が最もおいしくなる時季だ。
雪解け水が山の養分を海へと運び、産卵を前に、それをたっぷりと吸い込んで肥える。『Villa della pace』では、宮本水産の「能登かき」があおさ海苔を混ぜた衣のフリットになって現れた。
「山の養分で育ったアシタバの葉で包み、貝柱のエキスに海水を加えた泡のソースをのせています。そこにニワトコのピクルスと、八重桜の花の塩漬けも」
齧った途端、衣に閉じ込められていた牡蠣のジュースが弾け出す。山と海、桜と潮の香りが口の中で出合うのだ。
日々変わりゆく畑の様を映すサラダ、その名も「畑」は、畑の野菜が少ないこの時季は山菜が豊富。タラの芽、こごみ、葉わさび、フキ、あさつき、クレソン、あしたば、つくし、山ウド、ふきのとう……。そこへ、ふきのとう味噌で炊いたもち麦や蕎麦の実が忍ばせてある。
ざっくりとスプーンですくい上げ、わしわし噛むと、ひと口ごとに味も香りも食感も違うのだ。カリッ、パリッ、苦みに辛み、ああ香ばしい!と、スプーンを運ぶのがどんどん楽しくなっていく。 うれしくなったり、山や海を想像したり。
能登を応援したい気持ちでいたのだけれど、気づけば私は、能登に癒やされていた。
心が揺さぶられたのは、牡蠣も山菜も、平田さんの料理がただ「地元の食材」を並べただけではまったくないからだ。
地形や風土、6000年以上も人間が定住してきた半島の歴史、伝統行事や風習と結びついた独特の食文化や農山漁村料理。それらを謙虚に学びながらクリエイトしようとする平田さんは、自らの料理を「能登饗藝料理(のときょうげいりょうり)」と名づけている。
日本では珍しい七面鳥が、能登で育てられていた。
「輪島市の阿岸という小さな集落で、ただ1軒、大村正博さんがひとりで育てています。水も空気も綺麗な土地で、地元のコシヒカリを食べ、山の湧水を飲んで育つんです」
モモとフリソデ(胸肉と手羽肉の中間の部位)を炭火焼きにした七面鳥は、牛の赤身に匹敵する強さと、魚のようにだしっぽい旨みを持つ不思議な味わい。平田さんは丸ごと一羽で仕入れ、肉はメインに、内臓はリエットに、骨はだしにと余す所なく活用する。
そこに添えたのが、塩麹と赤ワインでじっくりと炊いてから、香ばしく焼いた新じゃがだった。これは、現代では地元でも失われつつある郷土料理をアップデートする試み。原典は石川県小松市の、ニシンを麹漬けにした残り汁で根菜を炊き、囲炉裏で焼く郷土料理だそうだ。
「“饗”の字には、人をもてなす、神事の際に供物をする、などの意味があります。“藝”にはもともと、植える、増やすという意味があったそうです」
次回はこの能登饗藝料理を成立させる「チームの仕事」をご紹介しようと思う。

- Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)
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レストランと、1日1組の客室を備えるオーベルジュ。Yチ ェアやピーター・アイビーの照明が配された客室は2〜4 名まで。朝食は、七面鳥の半熟卵や輪島の海女が採る岩のり、自家製いしり(魚醤)を塗った焼き魚、伝統的な漬 けもの、地元七尾・中島町のコシヒカリなどの和定食。(時季により変更あり)
石川県七尾市中島町塩津乙は部26-1
TEL|0767-88-9017
営業時間|ランチ12:00〜、ディナー18:00〜(一斉スタート) チェックイン16:00〜18:00 定休日|日、月+不定休あり( Instagram または電話に て確認を)
食事|コース19,800円(税サ込)
宿泊料金|1泊2食 付42,000円(税サ込)
アクセス|車/のと里山海道徳田大津ICから約7分、電車/のと鉄道笠師保駅から徒歩15分
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「僕らの新しいローカリズム」石川県・能登編は全6回。 次回は、『Villa della pace』後編。平田明珠シェフとともに世界観を創り上げるスペシャリストたちの 仕事、能登の恵み満載のスパイスや調味料を自家製するシェフの仕事から、『Villa della pace』のお いしさの理由を紐解きます。
次回の公開は、2025年8月9日スタージョンムーン。毎月、満月の日に新たな記事を更新
CHAPTER 23 comming soon『Villa della pace(ヴィラ デラ パーチェ)』後編。