平松洋子さんのおいしい本棚

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幅 : 女性の食べ物本からは、彼女らの生き様が見えてきました。
一方、男性の書いた食エッセイなども幾つか選んでいただいているようですが、平松さんが男性の食の本を読むのは女性のそれとはまた違った味わいがあるんですか?

平松 : ずいぶん違うと思います。
女性が書いたものは、生活の中で語られることが多いですが、男性の場合は食べ物と自分との関係がダイレクトで真っ直ぐであることが多い。
例えば、マンガ家 吉田戦車さんの『逃避めし』は深い。とても文学的なものを感じます。コンロひとつのちっちゃい台所で、自分の頭の中に芽生えた妄想を、ひとつの料理に込める。締め切り迫る非常時だからこそ、なぜか自らのためだけの創作料理をこしらえてしまうわけです。「こんなものを作りたい!」という、自身のなかでぐちゃぐちゃと考えた想像も、ポジティブな気持ちも、後ろ向きなことも、ひとつの食べ物に込めたいというすごい欲求がある。そのどうしようもない、押さえられない衝動が強く感じられます。
しかも、それを実際に自分の手で作って、食べるまでのすべてがこの本にはちゃんと表現されている。最初読んだ時に、わたし、異様に興奮したんです。

幅 : ちなみに僕がこの本を読んで、すごいなと思ったのが最初のエッセイの1行目です。「春キャベツ、という文字を見ると食べたくなる」とか、「保育園時代に使っていた弁当箱を発掘してきた」とか、釣り糸のように一本投げてよこしてくれる1行に、実においしそうな餌が付いている。食いつかずにはいられません。ちなみに作中では、その数々の名(迷)「逃避めし」を産み出した仕事場から引越すことになっちゃうんですよね。

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平松 : 寂しそうですよね。もうこれで「逃避めし」も終りかと思うとすごく悲しそうで、こちらも泣きそうに(笑)

幅 : この本で泣けるまで読めるって、すごく愉しいことですね!

平松 : 吉田さんの背中にこびりついているうれし、たのし、かなしな感情が伝わってきます。
ところで、この本で紹介されている「ちくわ弁当」、素晴らしくないですか?ちくわの穴が大きくなったというニュースを受けて作っているのですが、左側が梅干しゴハンで、右側が小口切りしたちくわ三本分くらいが穴を上向きにして入れている。人はどこかであの穴の意味を考えているんだと思うんです(笑)。上向きのちくわがあると、実際、穴をじっと見ちゃいますよね。なんだか吉田さんは、子供の頃と、今と、さらにその先の時間が地続きなんだと思えます。それが食べ物によく現れている。時間の繋がり方がすごく出ている。そこにも魅力があるんですよね

幅 : ちくわの「穴も味のうち」という名言もいただきました。
記憶という意味でなら、「春キャベツと焼きハム」もすごい。「キャベツが劉備玄徳であり、ハムは諸葛孔明である」なんて、いきなり言われてもまったく訳がわからないことなのに、不思議と納得させる吉田節がたしかにある。彼の凝縮した記憶が、読者にもなぜか届くんですよね。

平松 : ほかにも、男性の本の場合は、無垢ともいいたいくらい、食べ物と真っ直ぐな関係が目立ちます。例えば、檀一雄の『壇流クッキング』や、色川武大の『喰いたい放題』などは、その典型のような本です。

幅 : 吉田健一もそうですけれど、「食べたいんだ、おいしいんだ」みたいな感情がそのまま湧き出てきています。彼らの中では時間の圧縮が平気で行われていて、自身のどこかに潜む記憶や衝動が、現在の行為とダイレクトにつながっている。だからこそ、食べに行かざるを得ないというか、本人にとっては使命感すら持ちながら動いているわけですよね。

平松 : 色川武大は、自転車に乗ってあちこち走り回っているんですけど、檀一雄の漂蕩と通じるものを感じます。

幅 : 中国やスペインに行こうが、近所の八百屋に行こうが、そんなに変わらないんですよね。

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平松 : 貪欲ではあるかもしれないけれども、食べたいことに対して余計な感情がないことの魅力もすごくある。食べ物ってそういう原初的なものを触発するところがあって、人の在り方や姿勢をまっすぐ見せる。

幅 : 色川さんなんて「お行儀もクソもない、ただガツガツと喰いまくるのみ」と自ら書いていますからね。読んでいると、色々なことがクリアになってくる感じがします。熱が下がったあとの翌朝の気持ちよさというか。
一方、『ある一日』など、何冊かの小説も平松さんは今回選んでらっしゃいますね。物語に登場する食というのは、果たしてどういうものなんでしょう。例えば、織田作之助賞も受賞した、いしいしんじさんの『ある一日』では、子どもが誕生するという記念すべき日の話なのに、なぜか京都の町で過ごす時間が淡々と描かれ、読後は鱧のことばかりが頭に残ったりしました。子どもが生まれるという圧倒的な一日と、ものを食べるということが溶け合っているなと僕は感じました。

平松 : 食べ物というのは様々な小説に出てきますけれど、『ある一日』には、食べ物は生命そのものであるということがとてもプリミティブなかたちで語られている。その真実を、あくまでも小説の在り方として書き切られています。生命と食の相関関係といいますか、食べなきゃ生きられない、生きるためには食べなければならない、人のいちばんの大元にある純粋さを、赤ん坊という生命の誕生と重ねあわせている小説です。

幅 : 一方で、正岡子規の『仰臥漫録』は、死と食が重なっているところが対極のようですね。彼の『病床六尺』もそうですが、死というものが一歩一歩迫りくる極限状態のなかで、毎日をどう捉えるのかということが描かれますけれど、こちらの1冊はなぜ選ばれたんですか?

平松 : やはり死ぬことを見つめている時にも、食べ物がこれだけのっぴきならないものだということを子規自身が自覚しているからです。しかも、冷徹なほど自分の様をみている。死を前にしても、人は自分と食べ物の関係を見つめようとするものなのかと考えさせられます。

幅 : 沢村貞子さんの日記とはまた違った切実さがありますよね。

平松 : 目の前に死という現実が常にあった子規に対して、沢村さんの前には生そのものがある。子規は、死を眼前にして、生きること、食べることにあれだけ執着していた。病気のせいで仰向けになったまま動けないはずなのに、結構な量も食べていた。生命の終わりと自分との間に、食べ物が置かれています。

平松洋子

平松洋子

エッセイスト
1980年、東京女子大学文理学科社会学部卒業
新聞、雑誌、書籍等で広く執筆活動をおこなう。
主著に『買えない味』(筑摩書房) 第16回bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞
『野蛮な読書』(集英社) 第28回講談社エッセイ賞受賞 など。
近刊に『小鳥来る日』(毎日新聞社)、『ステーキを下町で』(文藝春秋)。

  • ステーキを下町で

    出版社:文藝春秋

    この言葉、油が乗り切った絶品です。

  • 小鳥来る日

    出版社:毎日新聞社

    日々起こる、ちょっとした奇跡みたいなはなし。

  • 野蛮な読書

    出版社:集英社

    野蛮、健啖、芳醇、絶品。

  • 食べる旅 韓国むかしの味

    出版社:新潮社

    探し求めたのは、消え入る前の食の記憶。

  • 忙しい日でも、おなかは空く。

    出版社:文藝春秋

    よく読み、よく書き、よく食し、よく作る人。

おいしい本棚2013一覧