平松洋子さんのおいしい本棚

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幅 : こんにちは。少し御無沙汰しておりました。今日はよろしくお願いします。

平松 : こちらこそ、よろしくお願いいたします。本もちゃんと持ってきていただき、有り難うございます。

幅 : せっかく平松さんに選んでいただいた本ですもの、当然です。
さてさて、平松さんは、食や生活文化を中心に幅広く文章を書いてらっしゃいますが、僕個人的には、おいしいものを食べたときの何ともいえない感覚に、ぴったりと寄り添うような言葉をあてがって下さる点にとても敬服しています。
食べるということはお互い大好きなので話が尽きることはないと思いますが、その中でも食べることと言葉の関係について、そして言葉というもので食の奥深さにどこまで迫れるのか?などということを今日は伺いたいと思っています。
平松さんが、どんな食の本をこれまで読んできたのか?読者のみなさんもかなり気になっていると思うのですが、ずばり食べ物の本って平松さんにとってどんな存在なのですか?いきなりの直球なのですが (笑)

平松 : 食べ物の本は不思議なものです。
目の前にある料理が同じだったとしても、それをどんな場所で、どんな嗜好の誰がどういう風に食べるのかによって、ひとつの味がまったく別のものになる。しかもそれは、たんに感じ方というレベルを超えて、味そのものが違うものとして受けとめられることさえある。そのような全体が言葉によって表現されていくとき、「多様さ」などのひと言ではいい足りず、光の当て方でまったく異なるものになっていく、煌めくような世界です。そのあたりに食の本の面白さ、深さがあると思います。

幅 : 今回選んでいただいた22冊の本も、ほんとうに多種多様です。
古典としてずっと読み継がれている時間の上積みのような本もあれば、東海林さだおさんの『レバ刺しの丸かじり』のような笑みを堪えながら読むような本まで、いろんなジャンルの本が並びます。このディーン&デルーカ(以下D&D)に設置する「おいしい本棚」にはいる本を選ぶ際は、どういう心持ちで選ばれたのですか?

平松 : リストアップしはじめたら、気になる本が、50冊くらいどんどん湧いて出てきてしまって。
きっちり考えていると洩れてしまうものが気になって逆に選べなくなるので、D&Dのお店を思い起こし、頭の片隅に留まらせながら、あとは直感的に選んでいきました。アトランダムですが、D&Dでなければ違う本の並びになったと思います。ひとつのテーマとか言葉でくくってしまうと堅苦しくなっちゃうと思ったので、最後はインスピレーション(笑)。

幅 : D&Dは普段から使ってらっしゃるのですか?

平松 : 東京駅とか、あと吉祥寺にもできたので、行った先で度々。

幅 : その頭の端っこにあるD&Dのイメージは平松さんにとってどういうものだったのですか?

平松 : 初めてD&Dを知ったのは、77年頃。N.Y.に出来て1年目くらいの時でしょうか。どこかで写真を見て、天上の高さやデリの見せ方に自由さを感じました。N.Y.という特殊な場所にあっても人の気持ちを引きつけるようなディスプレイだったなと思いましたね。どこかにファッション性もあるんだけれども、その中にもちゃんと食べていく事、日常性がちゃんとあったことが魅力的でした。両方が過不足なくある空間でしたよね。

幅 : ちなみに今回の選書の中で、いちばん最初に手に取った1冊はどのタイトルだったのですか?

平松 : 順番にはあまり意味はないんですけれど…、D&Dができた頃に出版された桐島洋子さんの『聡明な女は料理がうまい』は、いま読んでもまったく古びていないということが驚異的だと思います。発売当時も新しかったけれども、再版が出て、改めて読んで、「桐島さん、やっぱりすごいな!」と。30年近くたってもまったく変らない良さがここの本棚には合う気がして。

幅 : 桐島さんの本は、たしかに料理の本ではあるけれど、彼女という人間の魅力が非常によく伝わり押し寄せてくるような本ですよね。「料理とは『果敢な決断と実行』の連続である」なんて、まさに彼女らしい一言です。

平松 : 世界中を放浪した経験を踏まえて、自由に書かれているのだけれど、それを読み重ねると最後には「こう生きよ!」と叱咤をされているように感じますね。古びていないというのは、桐島さんの生き方やスタンスが古びていないということなんでしょう。

幅 : 仰る通りで、おしりを叩かれるというよりは、自発的に「背筋伸ばさなきゃな」というふうに思ってしまう。

平松 : 「わたしも行くから、あんたも行け!」みたいなね。桐島さんご自身が、書くことで自分を励ましているところもあるのかもしれません。

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幅 : なるほど、自身のための言葉でもあるわけですね。
食べる事が、ただ胃を満たす目的ではなく、人間の生き方や日々の生活に深く根付いていることがこの本の魅力なのかもしれません。毎日の生活に作用する言葉というか、それを読むことによって、例えば、朝起きる気になるとか、夕飯をがんばって自炊するとかね。
食の本について平松さんが重要視する部分って、そういった食を始点としながらも生き方の問題などへと広がりがあるものなのですかね?読み甲斐を感じるものといいますか。

平松 : もちろんそうですね。
例えば、最近は肉食とか草食のようにジャンル分けする呼び方がたくさんあります。もちろんユニークだしわかりやすいのですが、逆に溢れおちてしまうこともたくさんあるような気がします。キャッチコピーとしてはいいけれど、食と人間の関係はもっと複雑だとも思うのです。 桐島さんの本に書いてある言葉は、そうした物言いを吹き飛ばすような、強さと実直さがある。彼女の本には、食を礎にして生きるということに対する精神性があります。

幅 : 時代の前後はありますが、田辺聖子、石井好子、沢村貞子たちの本を読むと、同じように張りつめた強さを感じます。
石井好子さんの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』を読めば、「おいしそうだな。バターたっぷりのオムレツ、僕も作って出来立てを食べたいな」なんて当然思うのだけれども、最後ににじみ出てくるのはその人、その人の人間というか、生き様だと思うんです。パリの地に一人暮らす日本人のシャンソン歌手の孤独も未来への希望も、全部が一緒くたになって、あのオムレツのにおいになっている気がする。
食の本のクラシックスとして読まれているこうした作家たちの文章には、たしかに時間を越えていく力を感じます。30、40年も前に出た本は、風俗や食習慣の観点から見れば、ずいぶん古びてきているんだけど、結局目の前にあるものを可能な限り工夫し、おいしく食べ、生きていくということ自体はなんら変らないなと実感しますね。

平松 : 石井さんや沢村さんは、食べることや料理することによって自分の精神や日常が支えられていた方たちだと思うんです。食べ物と自分の関係に強度がある。楽しむという事のもっと先に、台所に立つ事によって自分を支えてゆくという、食と自分との結び目が強い。沢村さんは特にそうですが、食と人との関係性の強度がどちらも色濃く出ている本ですよね。

幅 : 『わたしの献立日記』は、女優だった沢村貞子が毎日の献立をひたすら大学ノートに記し続ける日記のようなものだと思うのですが、その淡々と綴られる個人の記録がどんな小説よりも雄弁ということに驚いてしまいます。

平松 : 書き付けることで自分を作っていた、納得していた。単なる備忘録ではないんですよね。

幅 : 写真がないというのも魅力だと思います。食というのはいつも視覚に頼りがちなのに、この献立日記では、実にこれだけ。「3月1日、曇りときどき小雨、10度、食パン、牛乳、ゆで卵、サラダ(サニーレタス、バナナ、りんご…)」という、たったこれだけを並べているだけなのに、逆に自分のなかでむくむくと勝手に立ち現れる朝食があるんですよね。

平松 : あとは読み解き方ですよね。読む人によってまったく違う読み方ができるということ。そこを汲み取らないと「何これ?」ということになってしまいますが、献立日記の行間を読むと、奥行きがおのずと、自然に浮き出てくる。読む人が問われる側面を合わせ持っています。

幅 : 自分の記憶を辿って料理の出来映えを探らざるを得ないということもあるかもしれませんね。これだけ果物がたくさんだから、ほぼフルーツサラダかな?とか。

平松 : 触発もされながら、自分の食体験と重ね合わせることもできるのが、日記だと思うんですよね。

平松洋子

平松洋子

エッセイスト
1980年、東京女子大学文理学科社会学部卒業
新聞、雑誌、書籍等で広く執筆活動をおこなう。
主著に『買えない味』(筑摩書房) 第16回bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞
『野蛮な読書』(集英社) 第28回講談社エッセイ賞受賞 など。
近刊に『小鳥来る日』(毎日新聞社)、『ステーキを下町で』(文藝春秋)。

  • ステーキを下町で

    出版社:文藝春秋

    この言葉、油が乗り切った絶品です。

  • 小鳥来る日

    出版社:毎日新聞社

    日々起こる、ちょっとした奇跡みたいなはなし。

  • 野蛮な読書

    出版社:集英社

    野蛮、健啖、芳醇、絶品。

  • 食べる旅 韓国むかしの味

    出版社:新潮社

    探し求めたのは、消え入る前の食の記憶。

  • 忙しい日でも、おなかは空く。

    出版社:文藝春秋

    よく読み、よく書き、よく食し、よく作る人。

おいしい本棚2013一覧